夜風が涼しい。
外に出て散歩でもしたい気分だ。
もちろん、映画やドラマも観たいし、読書だってしたい。昼寝だってしたい。
したいことがあるということは、とても素敵なことのように思えるし、
したいことができるということは、とても幸せなことのように思える。
さて、最近僕が観ているドラマが『家政婦のミタ』である。
昨日は1話の感想を書いてみた。気になったところをピックアップして、それについて色々考えることを書く。これが感想と言えるのか、よくわからない。ただ書きたいことをこのドラマにあわせて書いているように思う。
今日は2話の感想を書きたいと思う。もちろんネタバレありだ。まだこのドラマを見たことがない人にとっては読むか読まないか、「それはあなたが決めることです。」と言いたい。
[2話]
・いじめについて
いじめというのは、どこまでいってもなくならない問題なのだろうか。
なぜ人間は人をいじめるのだろうか、という問いに答える。
希衣「ミタさん、なんでいじめなんかするの?」
ミタさん「それは、人間が弱い動物だからです。弱いものを見つけたら徹底的に痛めつけ、強いものがいれば恐れをなして逃げ出す。それが人間という動物の本性です。 」
次男の海斗は、クラスメイトからいじめを受けていて、それに苦しんでいたことからミタさんに
「世の中のためにも死んだ方がいいんだよ」「殺してくれないかな」
と、自分をいじめてくるクラスメイトを殺すように命じる。
「死ね」や「殺す」、「死にたい」と言うことを平気で言う人がいる。こういった人たちに批判したい気持ちがありながら、もう批判したい気持ちは通り越して、そう言うことを軽々しく口にしてしまう人は自分から遠ざけるようにしているように思う。本心じゃないのはわかっている。冗談で言うこともあると思う。でも、笑えない。拒絶している自分がいる。
SNSが広く普及して、軽々しくどんなことでも言葉にすることができるようになっている。SNSの画面上だけでは気持ちがあまり見えないぶん、想いが伝わりにくい。誤解されることだってある。SNSで言葉が軽くなっている。もう少し重く考えたいと思う。
最後のシーンでのいじめっ子との殴り合いのケンカがある。逃げるよりは戦った方がマシと考えて、ケンカに挑む。もうこのシーンは海斗の魂の叫びだ。本当にとても考えさせられる。圧倒するものがある。
教師を目指す僕にとって、父親を目指す僕にとって、いやこの社会に生きる人間としていじめという問題は考えなければならない、もっと本気で向き合わないといけないことであるように思う。
・うらら
このドラマでは、恵一の妻である凪子の妹のうららが重要な役を担っている。良かれと思って行動したことがいつも裏目に出てしまう。そして阿須田家一同からはトラブルメーカー的な扱いをされている人物である。何でも自分の思うこととは裏目に出てしまうことから、「うらら」という名前でもあるのではなかろうか。
この「うらら」という言葉は、「うららか」から来ていて、空が晴れて、日が柔らかくのどかに照っているさま、声などが晴れ晴れとして楽しそうなさまと辞書にある。本当に明るい人物であり、暗く笑わないミタさんと対照的に描かれている。
僕はうららという単語を聞いてこの曲を思い浮かべた。
物語とは全く関係ないが、うららといえばこの曲を聴きたくなった。
ウララウララウラウラで、ウララウララウラウラよ、ウララウララウラウラで、ウララウララウラウラよ、ウララウララウラウラで、ウララウララウラウラよ、ウララウララウラウラで、ウララウララウラウラよ、ウララウララウラウラで、ウララウララウラウラよ、ウララウララウラウラで、ウララウララウラウラよ、ウララウララウラウラで、ウララウララウラウラよ、ウララウララウラウラで、ウララウララウラウラよ、ウララウララウラウラで、ウララウララウラウラよ、ウララウララウラウラで、ウララウララウラウラよ、ウララウララウラウラで、ウララウララウラウラよ、ウララウララウラウラで、ウララウララウラウラよ、ウララウララウラウラで、ウララウララウラウラよ、ウララウララウラウラで、ウララウララウラウラよ、ウララウララウラウラで、ウララウララウラウラよ、ウララウララウラウラで、ウララウララウラウラよ、ウララウララウラウラで、ウララウララウラウラのこの世は私のためにある。
全てひっくり返すわよ。ウラのウラをかいてウラウラしましょ。
どうも、失礼いたしました。ミタ関係ねぇ。