世界はこんなに素晴らしい

日々考えたことを書き残す

いいねを振り返る[第2回]

ツイッターを始めて僕は良いことと悪いことがあったと思う。確かに、自分にとって悪いことはあった。でも、始めなければよかったなーとは一ミリたりとも思わない。

 

やっぱりツイッターやってよかったなーと思うのである。

 

それは面白い考えやためになる考え、 考えさせられるツイート、自分の感情を揺さぶるようなツイート、大きくいえばツイートだけでなく、そのツイートをする人に出会えるからだ。本当にいつも面白い。

 

今日もいいねをした。面白いツイートや、考えさせられるツイートに。

僕は過去から遡って、自分がいいねを押したツイートを振り返っている。

第2回である。

 

 

 

僕はあまり寂しさを感じない。いや、寂しさを感じないと意地を張っているだけなのかもしれない。寂しいと感じる時ってあまりない。これは一人が好きだから、一人でいる方が好きだからそう感じるのかもしれないと感じていた。でも、このツイートを読んで、新たな考えが導入された。僕は一人でいるときに大抵本を読んでいるか、映画を見ているか、ドラマを見ているか、Twitterを眺めているか、そんなところだ。世界を置き去りにしているという感じはあまりしなかったが、もう他の人のことなど忘れて自分の世界で生きているのだ。一人の時の僕と言えば、どれだけ独りよがりなことか、どれだけ自分勝手なことか。もう他のことはほったらかして没頭している。よく実家で注意されていたものだった。ドラマなどを見ているときに、他の人が話しかけたりするんだけど、それを大抵は曖昧な返事にしたり無視したり。集中していると、外の世界なんかどうでも良くて、全く聴く耳を持たない。「今映画を見ているんだから話しかけないで!」と僕はよく言った。でも、あんた、人の話を聞きなさいと注意を受けたものだった。

世界を置き去りにするというこの表現、めちゃくちゃ好きだ。僕はいつだって今日だって世界を置き去りにして別の世界へ入り込んで行く。

 

 

これ見てほしい。いいからとりあえず見てほしい。この@MakotoOnoderaさんのTwitterを全部見るがいい。ずっと見ていられるぞ僕は。だから見てほしい。僕も強要するのは好きじゃない。強要したくはない。でも、見ようこれを。見ようじゃないか。癒されにいけばいい。子供が欲しいと思うんだな、こういうのを見ると僕は。

 

 

お名前なあに?何歳?何になりたいの?子供はいつだって質問を投げかけられる。とにかくなんでも大人は聞きたがるのだ。大人は子供のことが知りたいのだ。質問づけにされた経験が僕にもある。正月などで親戚が一通り集まる場所などで、同じようなことをいろんな人から聞かれる。

子供はどういう気持ちでいるのだろう?子供の側に立って考えらえる大人になりたい。

そうか、小さい頃には子供はいろんなことを親から聞かれる。そして、そうやって聞かれてことに全て答えようとしている。じゃあ、親もそうしなければならないと思う。子供はいろんな質問を親に投げかけると思う。僕も色々質問したんだろう。それにしっかりと答えてくれたかどうかあまり記憶がないのだが、答えることが必要だろう。親になったら心がけておきたいものだ。

 

綺麗事かもしれない。でも、自分が後悔してしまうからではなく、相手も後悔するだろうからということは考えてしまう。たまたま死ぬことってあるもんなぁ。

謝れるときに謝っておく、会えるときにあっておく、やれるときにやっておく

僕はいつまでも先延ばしにしていることがいくつもあるよ。

 

 

この言葉、心にとどめておきたい。笑ってとことん大事。でも、僕笑わそうとするんです、前に立つと何か面白いことがしたくなったりするんです。そうすると、たいてい何行ってんのお前、ふざけてる場合じゃないだろ的な目で見てくる人が少なからずいるんです。今なんの時間なんだよみたいな。早くいえよ言いたいことをといったことをいう人が。

それでも、会議で意見を聞いてもらうときにまずは笑いからというのは僕の中で大事なように思えるな。雰囲気とかもあるだろう。

 

 

 

少しずつ少しずついいねを振り返ることで何か自分の中で変わればいい。ただの振り返りにならずにそこから何を学ぶか。そこから何を考えるか。