世界はこんなに素晴らしい

日々考えたことを書き残す

インプットはアウトプットのために、アウトプットはインプットのために

昨日のブログを読んで、僕の書きたいことってなんだろうと考えている。自分のしたいことが分からないだけでなく、自分の書きたいことも実のところあまりわかっていない。

 

昨日のブログでは、なんかルールなんてものが面倒くさくなったからやめようよということで、12月は曜日のテーマに縛られず、自由に書いていくことに決めた。書きたいものを書きたいように書くといったけど、書きたいもの自体がそれほどなかったりする。

 

書きたいものというのは、突然現れてくるものだったりする。ずっと書きたいと思っていたんです、なんて言葉を僕は知っているが、その言葉を使って何か書けることは今のところない。あぁ、そういえばあれについては何か書けそうだなとか、ふと思い出してそれを書こうと思って書いたりする。あとであぁ俺が書きたいものはこういうものだったんだな、とわかったりするものではないかと思う。

 

僕がブログを書いているとき、かなりやみくもに書いているところがある。書き散らして書きなぐっている気がする。

 

僕は書きたいものがそんなにないけど、縛られずに本当にのびのびと書きたいと思っている。なんだかギチギチに固まっていると、身動きがとれずにどうしようもない。

 

書くために何かをすることが多くなってきた。書くことが前提になっている。音楽を聴くことも本を読むことも。でも、文章を書いていこうと思ったら、継続してブログを更新していこうと思ったら、そういうことが必要になってくるのだと思う。1ヶ月続けてみて、それをひしひしと感じている。

 

どれだけ自分の中に蓄えがあるかが大事になってくる。とにかく貪って何かに取り組み、自分の中に積み上げられるだけ積み上げておきたい。

 

僕は以前こんな言葉を見た。箕輪さんの言葉だ。

 

圧倒的なアウトプットのために情報を得る。情報を得ることを目的にしない。

 

圧倒的なアウトプットの場、それがこのブログだ。

膨大にアウトプットするために、インプットを心がける。

 

このようなことをヨガの呼吸法に例える人もいた。ちょっと誰だったか忘れた。

吸って吐くこと。息は吸わないとはけないし、息ははかないと吸えない。息を吸うために吐き、息を吐くために吸う。

 

インプットはアウトプットのために、アウトプットはインプットのために。