公開はすでに後悔を含んでいるようなものなのだから
ブログを始めて1年と半年ほど経った。
これは僕より前に始めた人からすれば遅いし、僕より後に始めた人からすれば早いのである。
今までに200ほどの記事を書いてきた。
その中でよく書けたもの、満足したものという記事はない。
納得いったとでも言おうか。そういう記事を書けたことは一度もないと思っている。
なにか言えなかったことがあったり、どうしても言い過ぎてしまったり。そういう文章になってしまうことが多い。
自分のこころを正直に文字としてうつしだせないことだってある。
文章を書くのはやはり難しい。
これはもしかすると、すべての書く人が思っていることなのかもしれない。
書かないでいいことを書いてしまったり、書かなければ読み手がわからないだろうことなのにそれを省いてしまったり。そういうことがどうしても起きてしまう。
難しい問題だ。
以前もこのブログで引用したかもしれないが、村上春樹の小説『風の歌を聴け』の冒頭の文は以下である。
完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。
過去にこんな記事も書いている。
村上春樹はあくまで小説の中だが、完璧な文章というのは存在しないと言っている。
僕もこの言葉に強く共感を覚える。完璧な文章はない。
納得できる文章は存在するのかといえば、それは存在すると言えると思う。納得するかどうかは自分が決めることだからだ。
僕は自分で納得いく記事がまだ書けていない。何もいうことのない完璧な文章を目指すことはナンセンスかもしれないが、自分で納得いく記事は目指すことができるかもしれない。
読み直し、書き直しを繰り返して文章が上手くなっていく。僕はそう信じている。
ただ、どれだけ読み返し書き直したところで、なかなか思うようにいかない、あとでまた読み返すとすごく情けなくなってくることだってある。
書いては読み返し、書き直して、また読み返す。
毎日書いている者にとってはここが結構きつかったりするのではないだろうか。
他にやることもあるから、なかなか読み返したり書き直すことに時間を割くことができていない。まさに僕の状況である。
じゃあどうすればいいのか。
その場その場で自分が納得いく記事が書ければそれでいいのではないかと思う。もちろん、追求するべきところは追求すべきなのだとは思うけど。
公開して何日も経った後に読み返し後悔することなんかは考えないで書くことが大切だと思っている。
公開はどこか後悔をすでに含んでいるものだ。
僕はこれからもどんどん文章を書いていきたいと思っている。そのなかで、自分が納得いく文章を書いて、とにかく読んでくれよなって言えるような記事が書ければと思う。
僕が目指すところでもある。
それは難しいものだし、時間がかかってしまうだろう。でも、いつかはそれができたらいいなと思う。
自分の文章に厳しくあることで、文章は成長していくものだ。
どうしても読んで欲しいんだ、と思えるような文章が書ける日はいつくるのであろうか。
その日はいつまでたっても来ないかもしれない。だけど、書き続けていけば、いずれつかめたり、その光が見えると思うのだ。