世界はこんなに素晴らしい

日々考えたことを書き残す

「頑張れ」と「お疲れさま」

 

急に感じたわけではない。感じてはいたのだが、放っておいただけだ。
でも、そろそろ放っとけなくなった。自分の中で、少し変えたほうがいいなと思うようになった。それはどんなことか。

頑張れ」と「お疲れさまです」という言葉についてである。

どちらの言葉も多くの人が使っている言葉だろうと思うし、普段からよく耳にする言葉でもあると思う。僕は、この言葉に少し違和感を抱いている。ちょっと見直す必要があるのではと思っている。そのことを書きたい。

 

「頑張れ」

もう本当によく使っている。使ってしまっている。今まで20年生きてきた中で数え切れないほどこの言葉を使ったことだろう。友達や後輩、家族にもこの一言を投げかけてきた。

「とりあえず頑張れ」「まぁ、頑張ってくれ」「頑張れや」

大学の友人が今年の夏休みに海外に行くらしい。僕はその話を彼から聞き、「すげぇな。海外いいじゃん。頑張れよ。」と返した。

おい、それだけか。もっと何か言いたいことはないのか。そんなことで終わらせていいのか。そんな言葉で満足してるんじゃねぇぞ。言われた相手は何も言わなかった。困惑していたと思う。何を頑張るというのか。頑張るのは当たり前だ。頑張れとしか言えない自分が、情けなくなってくる。なんとも無責任な言葉のように思う。

「僕は結構頑張ってますよ」

これはどうだろうか。なんか自分で言うのも違う気がする。

「よし、頑張るぞ」「一緒に頑張ろう」

これはなんかいいな。自分で自分を鼓舞する。自分も含めた相手、仲間と頑張ることを誓う。

「頑張る」という言葉は僕が考えるに、自分で自分に使うものなのだ。頑張るに自分が入っているべきだと思う。相手に向かって、「頑張れ」という言葉はあまり使いたくないなと思う。もちろん先ほどの例では、僕は本当にあの一文しか言っていない。もっと言葉を付け加えればよかったのかもしれない。

 

「お疲れさま」

僕は現在大学に通っているのだが、この言葉を学内で聞かない日はない。大学に、大学生にこびりついて離れない言葉だ。朝だって昼だって夜だって、挨拶がだいたいこれ。他の大学はどうなのかわからないが、僕の大学ではこれ以外の挨拶はあまり耳にしない。とりあえず先輩には「お疲れさまです」と、後輩には「お疲れ」と言っておけば大学生になれると思う。

この言葉の何がいけないのか。言いたい人は言えばいいと思う。でも、だいたい「お疲れさまです」と言われた時に僕は疲れていないのである。僕はまだまだ疲れてないぞ、と心の中で思いながらも相手に「お疲れさまです」と言っているのである。なんともできない。相手に先に言われたらこちらも言うしかない。「お疲れ」と言われ、「いや、疲れてないです」とは言えない。

さぁ、この状況どうしようか。もし、「お疲れ」を先走りされたら「どうもありがとう」と返すことにするのはどうか。相手は僕のことを気にして「お疲れだね」と言ってくれているわけだから(たぶんそれはない)、感謝を伝えるようにしよう。しかしこれでは、対処できない。もう完全に染みついているのだ。体に心に、そして大学に。

先輩の顔を見ると、後輩の顔を見ると、友達の顔を見ると、「お疲れ」という言葉が出てくるようにできているのが大学生だ。そういう人間だ。

「お疲れ」という言葉だけが大学であり、大学生活だ。

しかし、これはあくまで僕が通う大学での話であって、僕が把握している範囲内での話である。他の大学では果たしてどうなのだろうか。

 

 

以上、「頑張れ」の無責任さと大学にこびりつく「お疲れさま」について書いた。