自分を低くみてるのは自分を守るため
自分を低くみることは、本当に、まさに、その自分を低くすることだ。
たとえ、実際の自分が低くなくても、思うだけで低くなったり、低いと口に出せば、もっと低くなることだってある。
自分を低くみる、そう思うってことは何にもわるいことじゃない。
思うのは、その人の勝手だ。
思っているだけでは、その人の中にその思っている何かがあるだけで、それが表に出ることはなく、もうどんなことだって、思ってもいいと思っている。
以前読んだ小説に、妄想するのも罪ですか?なんて言葉があったが、妄想するのは罪ではなかろう。妄想は許されているものであろう。
なんだって思える。
あの人を殺したい、今すぐ死にたい、悪口言いたい、殴りたい、あの人とエッチしたい、あの人とエッチしたい、エッチしたい、
僕たちは、思うことは許されていると言えるだろう。
妄想しただけで、思っただけで、それが直接罪に触れたりすることはない。
自虐的に自分をおとして、自分の価値を下げて話すことがある。
思うだけでなく、相手に自分は価値のない人間ですよ、と直接伝えることがある。
そこにある真意は何だろう。なぜそんなことを言ってしまうのだろう。僕だって言った経験があるし、聞いた経験もある。
そう言っておけば、傷つかないですむ 。自分を低く見積もることで、自分の存在を守ることができる。
相手に自信のある人だなぁと思われない、期待されない。
相手にかわいそうと思ってもらいたい。そんなことないよ、と言ってもらいたい。
励ましてもらいたい。
自分に低い値段をつけ、自分の価値の低さを相手に伝えることは、そういう真の思いが込められているのだろう。
自分の価値に自信をもて、と言われてもそれはそれで難しいものかもしれない。
僕はどうしても自分に価値がないと思ってしまうことがある。
自分の存在価値を低くとらえてしまうことは少なからず誰にもあることだろう。
それは認めるとして、
自分のことを価値の低い人間だと思うだけでなく、それを口に出して相手に伝えることをしていると、本当にそのような人間になってしまうことがある。
価値のない人間を演じることになってしまう。
口に出し、相手に伝える、声に出すということは、まさにそういう人物なんですよ私は、というのを言っていることになる。
なんにせよ、自分を低く見るのは勝手にすればいいが、それを相手にわざわざ伝えて、自分を本当に価値の低い人間にするのはやめたい。やめてほしい。
聞くほうが嫌なんだから、自分も言わないように、と気をつける。
その言葉を聞くと色々言いたくなるくせに、自分がまさにその言葉を言ってしまっていることがある。
そういうことはよくある。聞きたくないことは言うな。自分が言ってほしくない言葉を、わざわざ言うな。
あと、自分の価値を下げて、自分の値段を下げ、それを表に出して、ついつい自分を守ろうとする人は、人からエネルギーを奪い取る。
そういう発言は周りをも巻き込み、沈めていくことがある。
本当に強い人というのは、周りをも強くする人だ、という言葉がある。これは確か映画『ちはやふる』で聞いた言葉だったような気がする。
本当に話していて楽しかったり、面白かったりするのは、相手にエネルギーを与えられる人だ。
相手からエネルギーを奪うような人と話をしたくはないし、自分も相手からエネルギーを無意識に相手から奪ってないか、そういうことを考えて話せればと思う。
自分を低く見てしまうのは、単なる努力不足かもしれない。静かに、黙って努力を続けよう。そういう人になろう。そう思う。