ボランティアは結局のところ自己満足でしかないのかもしれない
僕は大学でいろんなボランティアに取り組んできた。
他の人と比べたことがないから、僕が多いのは少ないのか、そういうことはわからないが、様々なボランティアをしてきたと思う。
マラソンのスタッフ、障がいのあるひとへのサポートボランティア、防犯ボランティア、祭りのスタッフ、サッカーの試合のスタッフ、東日本大震災のボランティアなどなど。
だいたいここであげたものくらいなので、そこまで多いとは言えないかもしれない。
これらはすべて、お金をもらうことなく、募集の紙を見て、自主的に申し込み、おこなった活動である。
自分で申し込み、自分で誰かのために動く。
僕はこれらの活動をどういう目的でやっていただろうか。その動機はどんなものだっただろうか。
人のため、誰かのために自分も何かしたい、そういう思いがあっていろんなボランティアをやってきたと思う。申し込んできたと思う。
そう思っていた。
だけど、これって本当の僕の心だったのだろうか。今になってなんとなく疑っている。もちろんそのときの気持ちは、誰かの満足こそが第一だったかもしれない。
だけど、真の心には、誰かのために動いているその自分の幸せを求めていたのかもしれない。
結局、自分は自分のことしか考えられないのだ。自分が一番好きだし、自分の幸福を一番に考えるのだ。
ボランティアなんてしていて、すごい。そういうことを思われたいとか。
誰かのために何かをしている自分のために、ボランティアをしている。
本当のところは僕はそうだったのだなと、少しばかり思っている。
自分のためでもそれはそれでいいとは思う。
これまで本当のところでは、自分のためにやってきたボランティアだが、どこかで、それは結果として人のためにはなっているはずだ。
自分のためにやっていることが、人のためになったりもするのだ。
それでいいんじゃないの。どういう心をもっていたって、結局人を助けたり、誰かのためになっているのなら、それでいいんじゃないの。
誰かにありがとうと言ってもらえたりしたらそれはもう自分のため以外の良い価値がその行動に生まれてんじゃないの。
なにもせずに、自分のためより人のためとか言っているよりは。正直で自分のためにボランティアするのもいいんじゃないの。
やっていない人よりは、そのほうが断然いいんじゃないの。
ただ、自分の満足だけを求めても、それが結果として人のためになることなんて、もしかしたら滅多にないことなのかもしれない。
手を差し伸べ過ぎないことも、とても大事だからね。この辺りが難しかったりするね。何でもかんでもやりゃあいいってもんでもないんだよね、たぶん。