美人の店員にお釣りをもらいたい
コンビニに美人の店員がいる。
僕はレジへ商品を持っていき、その人にレジを打ってもらおうとする。
だけど、男の店長みたいな人のレジが空いてしまい、そこで支払いをする。
なんでもなかったように、そのレジへ向かうけど、足取りは重かったりする。
前の人がもう少し早く支払いを済ませていれば、僕はあの美女にレジを打ってもらえたのに。お釣りを手渡しで渡してもらえたりしたのに。
そういう時は、少し落ち込んだりする。(こんなことで?)
そして、店から出ようとするとき、また今度も来よう、今度こそはあの美女からお釣りをもらおうと思う。
美人のコンビニ店員はかなりの集客効果があるのだろう。
こんなこと言っちゃうのはよくないのかもしれないけど、コンビニ以外のスーパーとかドラッグストアでも、かなり人を選んで商品をレジに持って行っている気がする。
もちろん、早くレジを済ませたいから、前の人の商品の量とかを見たりもするけど、レジの店員の顔や雰囲気もかなり見ている気がする。レジなんかどうでもいいと思うかもしれないが、僕はそうは思わない。
あのレジでの一対一の関係は、レジでしか味わえないものがある。(僕はだいぶおかしいだろうか)
店員によってレジを選んだりする。
これについて、多くの人は共感してくれるものなのだろうか。批判もあるかもしれない。
男とか女にかかわらず、顔基準で、レジを選んだりしているのだろうか。男と女の店員がいたら、異性のところへ商品を持って行ったりするのだろうか。
僕は無意識に、いや無意識というか、もしかしたら意識しているのかもしれないが、そういうことをしている。
僕は以前すき家にも美人の店員を見つけた。やっぱりそういう美人の店員に接客をしてもらいたいと思うのだ。
ただ、すき家は絶対にこちらから店員を選べない。向こうからやってくるのを待っているだけだ。レジもだいたい1つだから、選ぶなんてことはあまりない。
選択できるか、選択できないか。
こういうことはちょっと気持ち悪がられると思う。自分でもそういうことは、よくないとわかっている。顔で人を選ぶのではない。というのは誰もがよくいうことだ。
僕も言われたことがある。
ただ、美人の店員にレジを打ってもらい、お釣りをもらうことを望んでいる自分がいる。
ただ、ここでわかって欲しいのは、どうしてもその人という強い気持ちではないのだ。あわよくばである。あわよくば。
僕は相当何かが溜まっているのだろうか。
そうかもしれない。
これは人に悟られないようにいままでそうしてきたことなのだが、ここでついつい書いてしまった。そういうことは自分のうちに秘めておけばいいというのに、書いてしまうのだ。
美人の店員を求めて、そのコンビニやスーパーに行くのではない。
僕は今日も食材を買いに、スーパーへ行く。
そこで、美人の店員にレジでお釣りをもらえればと思う。そのたった何秒間かの関係に僕は少しドキッとしたりするのだ。そして、そのドキッが僕をまた生かしてくれるのだ。
あんがい単純なことでいいことが周りにはあるよ。救いのようなものが身近に見つかったりするよ。
僕はまだ生きることができている。僕の知らない素敵なことがまだまだたくさんあって、それに気づいていないだけなんだと思うと、少しは生きようと思う。
以下のふたつの記事を最近読んで、なんかすごく救われたというか、気付かされたというか、いろんな感情をもった。僕もよくよく考えたいと思う。
https://news.yahoo.co.jp/byline/mizushimahiroaki/20190602-00128440/
https://dot.asahi.com/dot/2019052900029.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=social