世界はこんなに素晴らしい

日々考えたことを書き残す

映画の話をしよう

2018年3月は13本の映画を観た。

僕は大学に入ってから観た映画のタイトルを残している。書き留めている。

だいたい300本くらいのリストになっている。二回見た作品も少しあるので、それを削ったとしても、280〜290本の映画を見ていることになるのではないかと思う。大学生活は後一年。残り残された一年間でどれだけ観れるかわからないが、とにかくとことん観ていきたいと思う。そして卒業してからも映画というものを観ていきたいと思う。社会に出てからも映画も見れない人生はごめんだな、と思うのである。

なんでそんなに映画を観るの?と聞かれたことがある。僕はそれを聞かれてもうまく返しができない。何かきっかけがあったわけではない。観たいから観ている、映画って面白いなと思うから観ているだけである。映画を単に楽しんでいる。だからどんどん借りて面白い作品に出会いたいと思っている。面白いから観ている。

映画を観ることは僕の時間を結構食いつぶす。観ていたらもうこんな時間になってた、と感じるばかりだ。すぐに時間が過ぎるのは僕にとっていいことでもあり、悪いことでもある。単位もいくらか映画に食いつぶされたことだろう。

でも、映画を観るのをやめられない。

 

僕は映画をだいたい一人で観るのだけれど、というか観る人がいないということもあるが、一人で観ると、何も気にせずに観れるからいい。だれかと観ていると、感想を言わなくちゃとか、そんなことを感じてしまいなんか窮屈になる。でも、確か初デートは映画鑑賞だったよな、とか変なことを思い出している。

一人の方が気楽だ、ということもあるのだが、僕は紙とペンを持って映画を観るので、それを観られるのが、それを気にされるのが嫌なのだ。『あの頃ペニーレインと』という映画で、主人公のウィリアムがバンドの音楽を聴きながら何やらメモを取っている途中で、隣で見ていたペニーレインが書いていたペンを取り上げるシーンがある。音楽というのは肌で、身体で感じるもの、紙に書いて表せるようなものではない、といったメッセージがあるのでは、と勝手に解釈しているのだが、映画に関してもそれをいうことができると思う。メモなんかとってないで、今ここで映し出される映像、音、感情をそのまま身体で記憶しなさい、と言われそうだ。それでも僕はメモを取るのだけれど。忘れっぽいから。その時の感情をまた思い出したいから。

映画を今までたくさん観てきたけど、それが今の僕にどれだけの影響を及ぼしているかは、当の本人にはわからない。周りの人から見たら変わったと言われるのかもしれないが。そもそも映画を観ただけで人は変われないだろう。そこから何か行動を起こしてこそ、人は変われるものだ。僕も今まで映画をたくさん観たことでそこから何を感じ取り、何を考え、何かやって観たりしただろうか、行動に移しただろうか。ただ観たことで満足していないだろうか。あぁ、面白かったなぁで満足していないだろうか。

 

誰かとその映画について語れる?それについて話ができる?

僕はそれを自分に問いかけたい。何本も映画を観ている人より、たった一本でも1時間くらい熱く語れる人の方が面白い、みたいな言葉を思い出している。僕は今までそれができていなかったんじゃないか、受け入れるだけ受け入れて、自分の中に取り込むだけ取り込んで、それで終わり。そこから何かと照らし合わせることをしない。深く調べたり、考えたりしない。考えないうちに次に次にと行っている。

広く広くから深く深くへと行くことも大事なのかもしれない。

さて、今日はなんの映画を観よう。そしてそこから何を感じ取り、何を考えることができるだろうか。