無意味に笑顔でいること
録画していたセブンルールという番組を観た。
この番組は、著名な人物が自分でかかげている7つのルールみたいなものが紹介される番組だ。
毎週録画をして欠かさず観るようにしている。
今回取り上げられていた人は、建築家の吉田愛さん。
以下はセブンルールのサイト。ここで吉田愛さんの7つのルールを見ることができる。
https://www.ktv.jp/7rules/program/180306.html
7つのルールの中で僕がとりわけ興味をひかれたのが、
6つ目のルール「無意味に笑顔でいる」
無意味に笑顔でいるってどういうことなんだろう?
笑顔って自分でつくるものではなく、外部によってつくられるものではないのか?
僕はそう感じているところがあった。
今日どんなことで笑ったかな?
というのを考えてみた。
朝起きて、録画してあったとんねるずの番組の全落オープンを見て爆笑。
大学へ行き、後輩と少し話をしてその時に少し笑う。
塾で生徒の話が面白くて思いっきり笑う。
友達と話して笑う。先輩と話して笑う。
誰かによって、何かによって引き起こされた笑いばかりだ。
僕の笑顔は誰かによって、何かによってつくられた笑いであると思うのだ。
自分から意識的に笑うことはある。
こういう笑いをなんというんだっけか?
愛想笑い。お世辞笑い。
愛想笑いをすることはある。
とりわけ面白くもないものに、笑っておく。意識的に自分から笑いをつくることがある。こういう時も、誰かによって笑顔を作らされている。
僕の1日やこれまでのことを振り返ってみても、自分でつくる笑顔でなく、つくられた笑顔が多いと思うのだ。
これは結構いいことなのではないか?
そんなことを考えた。
自分で、自ら、笑顔を作り続けるのはなかなか大変なことだ。
愛想笑いなんて本当はしたくないのだ。
僕は少なからず毎日笑っていると思う。
それも、とても自然に笑っていると思う。これはとても幸せなことだと思っている。
笑顔が人にもたらす効果というものはかなりあると思っていて、笑っていると毎日が楽しい。
無意味に笑う
自然に笑うことができれば、それがやっぱり最高なことだ。
でも、笑えないくらいに沈むこともあってで笑顔が作れないくらいに気分がのらない時もあって、
そういう時は無理にでも笑顔をつくる。無意味に笑うっていうことが自分を保たせてくれるのではないか、救ってくれるのではないかと思うのだ。
今日もたくさん笑いたい。無理にでも笑顔を作りながら、笑いたい。無意味に笑うって案外いいこともいいかもしれない。無意味に笑顔を自分でつくっていくって、思うよりいいことかもしれない。
僕が笑えば君が笑うから。笑いたいというのはもちろん、自分から笑いをつくりたい、誰かを笑わせたいというのも常々思っていることだ。