世界はこんなに素晴らしい

日々考えたことを書き残す

過去から教えられることはたくさんあるようだ

三日ほど実家に帰った。実家に帰るとなぜかいつもより自分の時間が取れる。一人暮らしをしている時よりも。そう感じる。結果として本が読めたり、勉強が出来たりする。

 

帰省した時によく昔のアルバムとかを見返したり、小学校や中学校の思い出のものを読み返したりする。そういう時に懐かしさを感じたり、恥ずかしさを感じたりする。

 

僕は小学校の時に野球チームに入っていて、野球ノートなるものを書いていた。懐かしさに浸っているときに、たまたまそれが見つかってなんとなく眺めていた。小学生らしいノートだな、と感じながら、自分のあの時を振り返る。

 

そのノートは僕が一日の練習や試合のなかで思ったことを書いて、その書いたものを監督やコーチに提出してコメントしてもらう。その監督のコメントがいいところを突いていて、とても考えさせられるものだった。今の僕にまっすぐ通じているようなもの。二つあった。

 

一つ目はこれ。

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この言葉を投げかけてくるコーチすごいな、と思った。こんな言葉を投げかけられてあの時の僕はどんなことを考えたのだろう。「みんなとする」と「みんなでする」は違うか。この違いって投げかけられると、すごい難しいし、本当に違いがあるのか、と疑問に思ってしまう。説明が難しい。このことは頭の中から一生消さないでほしいです、と言われた僕は言葉の重みを感じている。じっくり考えます。

 

二つ目はこれ。

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言葉が重すぎて、尖りすぎていて、のしかかってきて刺さって痛い。痛過ぎる。この時の自分と今の自分、全然変わってない。全然成長してないな、と感じてしまう。今この言葉を投げ掛けられて僕は動じている。俺何してたんだろ、あの頃。そして、今も変わらず何してんだろ、俺。

言葉にできてもそれを行動に移せていない自分があの時もそして今もずっと変わらずここにあるんだな。どうしようもねぇな。

 

こう下を向いてても、何も変わりはしない。変わろう変わろうと言いながら、僕はただ変化を恐れて変われていないだけなんだろう。自分が好きだから、自分を守るために、ずっと変わらない自分があるのだ。もちろん、あの頃と比べて成長したところや変わったところはあるだろう。

しかし、僕の課題みたいなものがあの時から今まで変わってないなあと深く悲しみを感じたりするのだ。過去から学ぶこと、教えられることはたくさんあるようだ。