世界はこんなに素晴らしい

日々考えたことを書き残す

先月からブログを毎日更新しているんだけど、

3月1日からブログを毎日書き始めた。

それから今日(4/4)までなんとか続けている。

 

最初は1ヶ月も続くなんて思ってなかった。ほとんど何も続けることができなかった自分が、毎日ブログを書くなんてできない、書き続けることなんてできない、そう思っていた。ところがどうした、毎日ブログは更新され続けているではないか。

 

僕は計画を立てるのが好きだ。1日のスケジュールを綿密に決める。それも窮屈に詰め込む。自分が今まで達成できなかったことが何度あったか、そんなことを考えるのはそっちのけで、こうありたいという自分を計画に落とし込むのだ。自分を全くわかってない。理想ばかりが紙に書かれ、それができずに、落ち込む。また、僕の性格的に、ひとつでも予定が狂うと、それ以降はどうでもよくなってしまうのだ。もういいや、と投げ出してしまう。

前日に明日は朝8時からカフェに行って、勉強をしようと計画を立てる。8時から9時までは英語の勉強、9時から10時までは読書、10時から11時までは授業の予習というように分単位ではないものの、詰め込み詰め込みで予定を立てる。そして寝て起きたら、もう10時。今からカフェに行けばいい。でも、その前の二つの予定が崩れてしまっているから、もう嫌になってしまう。

 

もちろん計画を立ててやっていくことは大事なのだけれど、全てが計画どおりの進むわけではない。計画通りに全てがうまくいくことってあまりない。それでも、それがわかっていても僕は計画を立て続ける。計画通りにいかないとわりきることができていない。

しかし、面倒なことに、計画を立てなかったら立てなかったでだらけてしまう。計画を立ててその調子で進めばいいのだが、それが思うようにいかなかったら、その場でバタン。計画を立てなかったときと全く同じ状況に陥る。それなら計画を立てる時間が無駄だ。本当にそうかな。

 

一つの解決策として、計画のレベルを下げることがあげられる。

確かにそれは大事だと思う。僕は今まで詰め込みすぎていた。自分の理想を高く掲げすぎていて、それに現実の自分がついていこうとしてついていけなかったのだ。残念なことに。目標を低めに設定してそれをクリアしていくことで次のレベルへと進んでいく、そういう段階的なものが必要なのだろう、そう思う。

 

僕は完璧主義なんだろう。一つでもうまくいかなくなると、ぽいっと投げる。諦めが、諦めをうむ。僕はなんて自信家なんだろう。そんなに自分に自信があるのか。もっと自分というものを知って、身の丈を知って、それに合わせていくことも必要だろう。

自分をもっと許容するということが大切なんだ、と考える。自分に甘くではないけれど、こうなりたい自分がはるか先にあって、いまの自分にあっていないのだ。計画を立てた後で、確かにそれができればいいけど、現実的かな?ということを自問すること。

 

ブログについても、理想を高く持ってしまったことにより、諦める心が生まれてしまうのではないか、完璧主義ゆえにできなかったら絶望してしまうのではないか、という懸念もあった。

しかし、一日のうちのどこかの時間で更新をすればいいという目標の立て方は僕にあっていた。毎日ブログを書くというのは書くネタとか、書く時間を設けるという点でかなり困難だったのだが、時間に縛られていないということが僕を楽にさせたのかもしれない。何時から何時までブログを書こうとか決めていないことがあえてよかったのかもしれない。これは継続をするという点で僕にあったやり方かもしれない。

 

何時から何時までという計画の立て方よりも、やるべきことリストなるものの方が僕はあっていると思う。時間に縛られないけど、リストには縛られている。

 

ブログを続けることは苦しい時もあった。一度、書き終わらないままに更新を押してしまったことがあった。確か日を超える2、3分前だったと思う。危なかった。いや、あれは更新したとは言えないのかもしれない。

多分あの時は継続している自分がここでやめたら終わりだぞ、的な感じの奴が現れて、書いている途中のブログの更新ボタンを僕に押させたのだと思う。多分これからもそんな感じで危ない日が何日もあるだろう。続けている、継続できているということが僕を後押ししてくれることを願う。継続が継続を生む。

 

僕はこれからもまだブログを書き続けて行こうと思う。春休みも終わって時間も限られた中で、書いていかなければならないのは結構しんどいことだと思う。

 

先輩に言われた言葉を胸に抱いている。

「質をどうこういう前に量をこなせ、量をこなしてこそ質はついてくる」

 

質より量。

 

僕はまだ拙い文章で、時々、いや、かなりわかりにくい文章になってしまうことがある。読みにくかったり、話がどこかに飛んでいってしまったり。なんの話をしているのか、自分でもわからなくなってくる時だってある。それでも書いていく。書き続けることで質が上がればいいと思う。練習、練習の日々だ。

 

誰か読んでくれている人がいるというのも僕にとっては心強い。パソコンのキーボードを打つモチベーションになっている。継続できているのは、そういう人たちのおかげといえる。感謝しかない。最初はアクセス数も少なかったが、少しづつ増えてきている。続けていれば誰かの目に止まる。そう信じながら書く。

 

とりあえず1ヶ月続いたブログは、これからどれだけ続いていくのか。それは僕にかかかっているし、読んでくれる人にかかっているかもしれない。明日必ず更新するとは限らない。

 

電線に止まっている鳥は何か足で力強く踏ん張って止まっているのではなく、いつ落ちてもいいと思っているから、電線に止まり続けることができるのだ。という言葉は確か糸井重里さんの言葉だっただろうか。継続しなくてもいいのである、いつブログの原稿を落としてもいいのである。それが僕をまた今日もパソコンの前に向かわせて、ブログを書かせているのだ。まだまだ旅は続いていく。