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自分自身について語る時に僕の語ること〜第4章〜

僕がツイッターを始めたのは、2017年の1月だ。

ツイッターなんてやるもんかと思っていた時もあったけど、やり始めたら面白かった。いろんな人がいて楽しかったし、いろんな自分も見つかった。自分から何かを発信したい、そういう気持ちはないように思っていたけど、本当のところではそういう気持ちが自分のなかに埋まっていたのだろうと思う。普段は自分のことをほとんど話さず、自分のことを打ち明けることはないけど、本当は誰かに聞いて欲しかったり、自分で言いたかったりするのだなと感じた。ツイッターをしてツイートをいくつかしながら、そんなことを感じた。まぁそういう気持ちがないと、ブログなんてものも始めてこんなに続けてはいないだろう。何か言いたことや書きたいことがあるから、それを文字にして書いているのだ。

僕はいま、書いている時が一番楽しいかもしれない。しんどいときもあるけど、やっぱり楽しい。

しんどたのしい。

ペンを持って文字を書いている時もそうだし、こうやってパソコンのキーで文字を打っている時もそうだ。楽しい。ツイッターを始めて、ブログを始めて本当にその楽しさを身をもって深く感じている。

僕がツイッターを始めた理由はいくつかあるが、それは単純に、いろんな人がツイッターという場にいて、そういう人の意見や言葉を自分の内に取り込みたいと思ったというのが一つだ。それはそれでやっぱり楽しかった。ツイッターをやっていることでいろんな人を知って、いろんなことを知った。

それとともに、自分がツイートすることも楽しかった。書きたいこと表現したいことが自分のなかにあってそれを表に出したかったからというのも一つの理由にあたる。自分で文字で表現することがそれまでほとんどなかった僕はいろんなことを発信した。そういう場を与えられたことが嬉しかった。やっている自分は結構楽しんでいた。やっぱり書くってこと、何かを文字にすることってこんなに楽しいものなんだと感じた。

それとともに、難しさも感じた。文字で相手に伝えることってかなり難しいのだなと感じた。自分の感情を文字で表現すること、その状況をわかりやすく書きあらわすことの大変さ。言葉で伝えるって本当に難しい。

このことは今の僕の卒論のテーマにも多少関係している。言葉じゃどうしても伝わらない、表現できないものがある。そういうときにどうコミュニケーションとして相手に伝えていくか。それは色々なものが考えられると思う。例えば身体的なものそういった繋がり。言語を超えたつながりやコミュニケーション。僕はそういったことに少し興味を持っている。

 

ツイッターは誰かに何かを伝えようと思ってツイートするなんてことはあまりない。誰かが共感してくれたらいいな、とか、面白いなとか思ってくれたらいいなとかそういうことを考えて、相手を少しは意識しているけれども、深く相手がいることを考えず自分が言いたいことをツイートしていたりする。

そこに特別なメッセージはなく、自分のための記録でもあったりする。たまに、自分のツイートを読み返してはあんなことがあったなぁとか、こんな曲を聴いていたなぁとか懐かしんだりする。僕はこれからもツイッターを続けていくんじゃないかと思う。

そんなに頻繁にツイートをするわけではないけれども、タイムラインは結構見て、面白がったり、楽しんだり、うなずいたりしているし、ブログのことはツイートして少しでも見て読んでもらえれば、なんて思っている。

ツイッターは面白い。

 

SNSといえば、僕はLINEも使っている。LINEはそこに相手がいる。ツイッターはかなり不特定の人に向かって発信するものであると思っているが、LINEはそんなことはない。少なくとも僕の場合は。必ずそこに相手がいる。

僕は度々LINEを使うが、相手を怒らせたり、僕が怒っているんじゃないかと相手に思わせてしまうことがある。それはなぜかというと、僕が絵文字を使わない、スタンプを使わないというところにあるのだろうと思っている。それが原因でだいたい発生してしまう誤解からだったりする。

僕は今まで絵文字やスタンプといったものを使ったことが数えられるほどしかない。いくら仲の良い友人でも使わない。相手がスタンプを送ってきても、言葉で返す。使うとしたら「!」くらい。それ以外は自分の感情を伝えるツールは持ち合わせてはいるが行使していない。文字だけだ。絵文字やスタンプ使えば良いじゃないか、(笑)とか使えば良いじゃないか、と言われたりすることもあるけど、やっぱり自分は使わないと思う。僕のことをある程度知っている人や何度か連絡を取ったことのある人はだいたいこれをわかってくれている。わかってくれているんじゃないかと僕自身の中で思っている。思っているだけなのかもしれない。でも、初めて連絡を取る人などにはどうしても堅い印象や怒っているんじゃないかという印象を与えてしまう。絶対そういう人はいる。僕はこれを少しは直そうかとも考えたのだが、スタンプや絵文字を使ったりしようかと考えたのだが、なんかできない。いやもう別にする必要ないじゃないかと思っている。「。」で終わるとなんか感情が全然伝わってこないんだよね、ぶっきらぼうだね、とか、冷たいね、なんて言われことがある。多分僕はもともと冷たい人間なのだろうと思う。だから文字にもそれが表れてしまっているのだろうと思う。

僕が冷たい人間であるということは間違ってはいないのだろうけど、僕は多分そう思われるときに怒ってはいないし、冷たくしようともしていない。でも、その気持ちは伝わらない。

今から僕が(笑)を使ったらどうだろう。それはそれで気持ちが悪くないか。僕という人物を知っている人からすれば。たいして笑ってもないのに(笑)とか使ったりするんじゃねぇよなんて僕は思ったりする。

 

文字でのコミュニケーションって本当に感情を伝えづらいし、それだけで表現できることって限られていたりもするし、そこを本当に表現したかったら技術みたいなものも必要なんだろう。文字で相手に自分の感情であったりするのは難しいからそのために絵文字があったり、(笑)があったり、スタンプという伝える簡単なツールがあったりするのだろう。でも、僕はなんかそういうものを使おうと思えない。恥ずかしさがあったりする。

 

ラインを使っていたり、ツイッターを使っていたりするときに、または本を読んでいるときに、文字についてさらには、コミュニケーションについて雑に考えたりした。今もしている。

自分はこれからどういう風にコミュニケーションを取っていくのだろうか。どういう風にコミュニケーションを取っていくべきだろうか。