今週も世界は素晴らしかった(10/29〜11/4)
この日曜日は1週間を振り返ってみて、何かとりわけ書くことがあれば書き、書くことが特にみつからない場合は、日記をそのままコピーしてペーストしようと考えている。
でも、今日は何か最近考えていることとか、そういったことを書こうと思う。Macのキーに手をかけて、でてきた言葉たちだ。
僕はこのブログでとにかく愚痴や批判などネガティブなことは書かず、できるだけ素晴らしいこと、この世界は素晴らしいんだ、といった良いことを書いていきたいと思っている。それがブログの名前にも繋がっている。
たぶん、そうした素晴らしいことのほうが読む人は読んでいて気持ちいいだろうし、僕自身も書いていて気持ちがいいし、そうしたほうがなんかいい方向へ自分を連れて行ってくれる気がするのだ。いい言葉はいい方向へあなたを連れて行ってくれると、行っている人もいる。
だけど、実際毎日を過ごしていると、そんないいことばかりがあるというわけではない。色々よくないこととか、愚痴の1つや2つ言いたくなる時だってあるにはあるだろう。でも、それらはこんなとこに書くものではないと、僕は思っている。今までいろんなブログを書いてきたけど、そういったものをかかないできた。(自分で書いていたものを完全に覚えていないので、そういったものがあったらすみません)
このブログがどれだけの人に読んでもらっているのかその辺りはよくわからないのだが、愚痴なんかが書いてあるブログは読んでいる人も読みたくないのではないか。少なくとも僕はそんなブログあまり読みたくない。
ツイッターで愚痴を言ったり、その人がいないところでその人の悪口などを言ったり。そういう人は少なからずいる。僕もそういうことを無意識的にやってしまっていることがある。
でも、僕はそういうことが好きではない。できるだけ、そういったことから遠ざかっておきたい。
そういうことを書いたり言ったりすることは確かにその人の勝手であるし、僕がどうこういったりできるわけではない。だから、僕はそういう人もいるんだと考えて遠くから眺めている。自分も一緒になってその中に入ってしまわないように。
そうしたい気持ちはわからなくはない。する人もいるだろうが、僕はできるだけしないようにしているつもりだ。
ついついそんなことをやってしまう自分がいたら、ちょっと戒めたい。イライラをぶつけたり、自分の嫌なことを感情を持って相手にぶつけたりすること。相手の悪口をいってしまっていること。やってしまってないだろうか。
腹が立ったらそのぶん自分にあたればいい。悔しい思いをしたらそのぶん自分を磨けばいい。そう考えて生きてきた。
— 村上春樹のつぶやき (@EssentialWord1) 2018年11月2日
腹が立つこと、イライラすること、相手を嫌いになってしまうこと、そういうことがあった時に自分はどうしているか。誰か他の人にあたってしまっていないか。それってなんか虚しくないか。自分で自分の感情をコントロールできていない。誰かに当たることでなんとか自分を保とうとしている。ストレスのはけ口が自分ではなく、他の誰か、もしくはどこかの誰か。
僕は昨日久しぶりに筋トレをした。なんか気持ちがとっても焦っていて、自分でもイライラしている、イラついていると感じたからだ。自分を痛みつけることで、少し落ち着いてくる。
自分で何かそういった手段を持っておくのは大切なことだと思う。お笑いの番組を見ること、本を読むこと、映画を見ること、そういったことも僕にとってイライラを変えてくれる、あるいは少しそのイライラから遠ざけてくれるものになっている。
腹が立ったら自分にあたる、悔しい思いをしたらその分自分を磨く、これはとっても大事にしたい言葉になった。
日曜日は今週あった素晴らしいことを色々書こうと思っていたが、あまりそうはならなかったようだ。そんな素晴らしいことばかりでもない。それが人生だろう。でも、素晴らしくないことを可能な限り、今後の素晴らしいものに変えるために、僕は素晴らしい言葉をつむいでいきたい。
この世界はなんて素晴らしいんだということを一生懸命日曜日に書くことにしたい。
あぁ、今週も世界は素晴らしかった。