世界はこんなに素晴らしい

日々考えたことを書き残す

いろんな家族、いろんな人、いろんな自分

先日、昼食を食べに飲食店へ入った。

僕はひとりで店へと入り席についた。また一人で。いつも一人で。となりの席には女子高生とその家族がいた。

 

昼のピークを少し過ぎたためか、少し店も落ち着いている。新たに入って来る客は少なく、食事が終わっても居座っている人が多い。

注文を終えて食事が来るのを待っている時、何をするかというとツイッターをなんとなく見たり、本を読んだりする。視覚的に暇をつぶす。こういうときに、周りの声が、あえて聞こうとせずとも、耳まで届く。無意識に声を拾ってしまう。

 

僕の隣の席に座っているのは、母と姉と女子高生の妹、その3人家族が向い合わせで座っている。なんとなく耳をすまして会話を聞いてしまう。

その家族の中で一番喋っているのは妹だ。妹が喋ってそれに姉が相槌をうったり反応をしたりする。母親はというと、黙って聞いていて、たまに話が降られると、少し喋るくらい。Twitterとか本とかに集中することができず、隣の客のよく通る声で話す妹の声に耳を取られてしまう。

 

「ねぇ、今日駅でめっちゃジロジロ見てくるおっさんがいたんだけど、めっちゃムカついた、死ね」

とか、

「クラス替えマジ最悪だったんだけどー」

とか、

「全然注文来ないし、マジ遅くね」

とか。

会話というよりはその女子高生が一人で喋っている。とにかく喋りが止まらない。よく喋っている。本当に女子高生とか女子中学生とかは良く喋るなぁと感心している。これは塾でアルバイトをしている僕は特に感じていることだ。男子よりも女子の方が良く喋る。本当に話題が尽きない。ずっと喋り続けている。

 

妹が喋ったこの言葉を聞いてお母さんはどうしていたか。特に何も言わない。お姉ちゃんが少し相槌を打つだけで、お母さんはずっと無言だった。妹がひたすら喋り、姉が少し反応するだけ。

 

 

僕の家では、死ねとか最悪だしとか、店への不満とか、そういうことを親の前で言わなかった。言えなかったのかもしれない。自分で言わないようにしていたのだろう。

僕がもし、親の前でこんな発言をすることがあれば、(まぁ僕がマジムカついた死ねとか、まじ最悪だったんだけどーとか言うことはないと思うのだが)そういう類の発言をすることがあれば、「言葉遣いが悪い」とか、「そういうことを言わない」とかって叱られているはずだ。自分の家でなく、店であるからに関係なくそうなるはずだ。

 

僕はここで、この妹の発言が悪いと言いたいわけでもないし、お母さんがちゃんと注意すべきだと言いたいわけでもない。そういうことを言う資格はない。他人の家族にどうこう口を出せる人間はいないし、それほど口を出す話題でもない。ただ自分の家庭とは明らかに違う家庭なんだな、ということを実感した。もちろんどの家庭も違うのだけれど、多分違うということがわかっているだけで、実際に違うかどうかなんてわからない。じゃあどういう時に違いとして認識されるかというと、自分の家庭と自分とは異なる家庭とを比較してみて、違いが発見されることによってであろう。自分とは違うんだということを認識した時、体験した時、違うということが明らかになる。違いは違いを認識した時にわかる。

 

他人の家族に触れることで、自分の家族とは違うんだな、ということを感じた。自分の世界だけにとどまっていると、ほかのものとの差異に気づくことができない。ほかのものに触れることで初めて、自分たちがほかのものと同じなのか、それとも違うのかに気づくことができる。違いを実感するということで、今までの価値観がひっくり返さたりするのが面白い。

 

 

親の前では丁寧な言葉遣い、汚い言葉を使わない、使ったら叱られるという価値観だった僕は、親の前でもこうやって素の自分で喋る、いつも友達と話すようなテンションや言葉遣いで話す子供もいるのだなぁ、そして、それに対して注意をしたりすることのない親もいるのだなぁと思い、違いを実感した。

 

で、ようやく注文していたものがその家族に運ばれると、みんな一斉に食べ始めた。その時妹はスマホを使っていた。皿の横にスマホをおいて、時々触りながら食べる。時には、右手には箸、左手にはスマホだったり。

僕は他人がどんな風に食べようとそんなことをどうこう言わないし、(子供ができたら別の話だと思うが)どうこう言えるわけではない。僕もそう言うことをしている時があるからで、これからもそうしないとは限らないからだ。でも、家族、親の前では別の話だ。スマホを片手に食べることはしないだろう。多分叱られるはずだ。いや絶対叱られるはずだ。

 

でも、面白いことにそういう言葉を使って怒られたこととか、食べているときにスマホを使って怒られたこととか、そういう覚えはないのだ。怒られるからやらないとかじゃなくて、自分の中の別の経験から、もしくは、決められた自分の中のルールとかを使って汚い言葉を使わなかったり、食事中にスマホを使わなかったりするんだろう。

 

いろんな人からいろんな言葉からいろんな考えから、いろんな自分が発見される。