世界はこんなに素晴らしい

日々考えたことを書き残す

「すべての結果は人生の先の方でわかる」という言葉を考える

小学校から高校まで12年間野球を続け、大学に入ると野球をやめた。

 

父親の影響で野球を始め、少年野球チームに入った。人数も少ないチームでキャプテンを任されたりした。別に野球が上手かったからとかではなく、ただ6年生が僕と6年生になった時にチームに入ってきた同じ学年の友達しかいなかったのだ。

12年間のこれまでの野球人生の中で一番きつかった、しんどかったのはいつかと問われたら、間違いなく少年野球チームにいた頃と答えるだろう。

練習に行くのが嫌になる日が何日もあった。逃げ出したい日々の連続だった。それでもなんとか毎日練習に行っていた。キャッチボールをしたり、守備をしたり、バッティングをしたり、そういったことは本当は楽しいはずなのに、純粋に楽しいとは思えなかった。練習に行くのがとてもつらかった。行ったら怒られる毎日。怒られなかった日はないと思う。そう言えるくらい怒られる毎日だった。いまでもあの怒られ続けた日々のことを思い出す。

もちろん怒られるのは、僕が下手だからであり、僕が根性なしだからであり、僕が泣いてばかりだからだったからなのだが、あのときの僕は、どうして俺ばっかりこんなに怒られるのだろう、とそんなことをずっと考えていた。ただ怒りを僕にぶつけているだけじゃないのか、と。でも、今思うと、僕を思ってのことだったんだろうな、と考えている。あの怒りにも愛があったのかな、と何となく今になって思っている。あの殴られたり、蹴られたりした日々も僕にとって大事な時期、自分を形作る必要とされる時期だったのかな、と感じている。ビンタされたり、尻バットをされたりしたことをこうやって美化するのはどうかと思うが、僕は心からそう思っている。過去は美化されるものなのだろう。

なんでそんなにきつかったのにやめなかったのか、と言われたことがある。そんなにきついならやめればよかったじゃん、と。でも、僕は勇気がなかったのだ。辞めるだけの勇気がない人間だったのだ。中学・高校の時もそうだった。やめたい時は何度だってあった。でも、やめずに続けている自分がいた。辞めるジャンプができなかった。それだけ僕は根性なしで、意気地なしだ。いまでもそれは変わっていないんじゃないかと思う。

やめずにズルズルズルズルと続けていくのだ。多分この先も。そして人生は終わっていく。その場に留まり続けて、嫌なことでも逃げたい時でも、逃げずにそこから動けないだけの野郎なのだ、僕は。

 

あの小学校の日々を思い出すと、あのとき辞めてたらどうなってたかなぁとかたらればのことを想像したりする。でも、そんなことはただ想像するだけにとどまるし、うまく想像が出来ない。

 

自分が本当に嫌なことだったら逃げること、辞めることが大切なのだ、やめてもいいんだよという言葉を最近になって、大学に入ってよく聞くようになった気がする。そういった言葉に僕はあのとき出会えなかった。出会わなかった。出会おうとしなかった、出会っても聴くことをしなかったのかもしれない。多分僕が本当に言葉にしたのは、一回だけだと思う。本気で辞めたいと親に言ったのは小学校の二年生くらいの時。親は辞めるのに反対していなかったのだが、なぜか辞めずに続けて次の日も練習に行っていた。辞めたいと思うだけで言葉に出すことはあまりできない。だからのらりくらりと時が過ぎ、僕は逃げずにそこにいることになる。

 

すべての結果は人生の先のほうでわかる。

 

これははぁちゅうさんの言葉だ。

僕はこの言葉を手帳に書き込んでいる。 結果はすぐには現れない。もっと先の方でわかるものなのだ。続けていたらその先にどんな結果が待っているのか、やめたらやめたでどんな結果が待ち受けているのか。そういう結果はすぐに現れない、現れたと思ってもそれは本当の結果ではないのかもしれない。

 

 

結果は人生の先の方でわかる。