立て直す立て直さない問題〜そっとしておくということ〜
先日、ブログでこんなことを書いた。
倒れている自転車を立て直すか立て直さないか。風が吹いていて、立て直しても倒れそうなのであれば、立て直さない。そういうことを書いた。
で、今日は、この自転車の話にちょっとだけ似せた話を。
倒れている人を立て直すか立て直さないか問題
道で人が倒れているという時。それはもちろん駆け寄って救急車を呼ぶなりしなければならない。しかし、今回はそういう倒れている人を考えるのではなく、元気がない人、疲れて落ち込んでいる人ということで考えていきたい。
そっとしておくということ。邪魔をしないということ。
何かで落ち込んでいる時、疲れている時、誰かから助けてもらうこと、声をかけてもらうこと、そういったことを求める人がいる。望む人がいる。助けて、と。
しかし、僕はそういう時はどちらかといえばそっとしておいてほしいタイプだと思う。でも、そのそっとしといてほしいはなかなか言葉にできないし、自分から言葉にしてしまうことで、その人の善意を踏みにじってしまうのではないか、なんて考えてしまう。
そっとしておくことって難しい。
誰だって人を助けたいと思うところがあるだろう。困っている人がいたら助ける、悩んでいる人がいたら話を聞いてあげる。元気がない人は元気づけたいと思う。そういうことを教えられてきたところもある。
そっとしておくということは空気を読むということを似ているものかもしれない。
そっとしておいて欲しいと助けて欲しい
どんなときでもそっとしておいて欲しいわけじゃないし、助けて欲しい時もあるし、そういう時は言葉にしていきたいと思う。僕は空気を読むということが社会的に求められていることは自覚しながらも、空気を読むことを強要されるのは本当に嫌だからだ。
僕はなかなか言葉にできない人だけれど、言葉にすることで、自分を安定させていきたい。言葉にしないでなんでもかんでも受け入れていくことは少し大変だ。
自分が、そっとしておいて欲しいときと助けて欲しいとき。相手が、そっとして欲しいんだろうなというときと助けて欲しいんだろうなというとき。
本当に人間って複雑なものだ。僕だって相当わがままな人間だろうと思う。自分の望むように、そっとして欲しいときがあり、助けて欲しいとときがあり、それを相手に願うのだから。
でも、わがままになってもいいじゃないの。
バイトで色々と怒られしまった人がいて、そういう人にどういう声かけをするか、とても落ち込んでいる人がいて、そういう人にどういう声かけをするか。そっとしておくのか、それとも元気付けようと声かけをするのか。場合わけなんかできずに、その都度人間の感情は変わるもので、難しい。今日も今日とて自分の感情に他人の感情に振り回されている。空気を読もうとしているな、俺は。
自転車と人間は全然違うからね。多分。
なにかすばらしいことをやった人がいるとき、近くにいる人がなにを協力したかということを考えると、「じゃまをしなかった」という手伝い方が最も多いのではないだろうか。すごいことなんだよ、「じゃまをしなかった」って。
— 糸井 重里 (@itoi_shigesato) 2017年3月17日
この糸井さんの言葉を思い出す。
誰かを助けたい、誰かに認められたいという気持ちを誰しもどこかに持っている。そういう中でそれを押し殺して、そっとしておく、じゃまをしないでおく、ということは本当に難しいと思う。でも、案外普通にやってたりもする。
あぁ、この世界は複雑で大変だ。生きるのも大変だ。
それでも、「世界はこんなに素晴らしい」と言いたい。