世界はこんなに素晴らしい

日々考えたことを書き残す

言葉はブーメランのように

どの立場でお前はものを語っているのか。どの手がそんな言葉を書いているのか。

 

僕は大学に入って1回生の11月くらいからアルバイトを始めた。先生になりたいという目標があったから、大学に入ったら塾や家庭教師でバイトをしようと決めていた。

他にもいくつかアルバイトをやった。大学内でのアルバイト、短期のバイト。色々やった。

 

でも、ここまで3年間続けることができているのは、1回生の時からやっている塾のアルバイトだ。僕は今年でアルバイトをやめようと思っている。それは就職するとか卒業するとかではなく、多分卒業はできない。あと1年か2年は大学にいるんじゃないかと思っている。バイトに縛られていた自分から抜け出して違うことをあと2年くらいやってみたいと思っている。3年間なんとなく続けてきたけど、もう今年で本当に終わりにする。今年の3年生を合格させたら終わりだ。

 

塾でアルバイトをしていて、僕は自分の無知にぶち当たる。僕は自分の専門でもある英語ですらこんなにも知らないんだということに気づく。生徒からの鋭い質問に答えることができない時もある。

 

他の教科はもちろんそうだ。数学や社会、理科、そのあたりの知識がさっぱり抜けている。忘れている。僕は今まで何を学んだきたのだろうか。中学校や高校でどんな知識を身につけただろうか。

なんだか自分が情けなくなってくる時がある。

 

生徒に勉強をしろ、宿題をしろ、単語を覚えろ、そういうことを言っている。教師としてそういうことを言わなければいけない時がある。でも、そういう時どこかむず痒いというか、もどかしいというか、何を言っているんだろうという気持ちが僕の頭をよぎったりする。

どの口がそんな言葉を吐けるだろうか。僕みたいな人の声がどれだけ生徒に届けることができるのだろうか。

 

自分の発言には責任を持て、という。

有言実行。

 

自分は勉強しているだろうか。宿題をしているだろうか。定期的に習慣的に学習ができているだろうか。単語を覚えたりしているだろうか。大学生は勉強しなくてもいいなんてそんなことはない。少なくとも教えている立場の人間が勉強を怠ることなんてあってはならない。

 

俺は生徒に何を言っているんだという気になることがある。自分が本当にこんなことをしてていいのかわからなくなる時がある。

 

自分に自信を持って、自分の言葉に責任を持つために僕は本気で、それは言葉だけでなく、行動として本気で勉強をしなければいけない。生徒に嘘をついているような気がする。

僕は何を勉強してきたのか、自分はほとんど何も持っていないことを知る。それはそれで自由でいいのかもしれない。でも、やっぱり僕は何かを持っていたい。安心のためか。僕はもう少し本気にならなければいけないのだろう。確かにそうだろう。

 

自分の発した言葉、自分の書いた言葉、僕はそれに本気で向き合えているだろうか。書くこと、書く文字に何かを乗っけて自分から吐き出すだけではダメだ。自分の発した言葉、自分の書く言葉、それをしかと自分に向け、ブーメランとして自分に突き刺す。

僕はただボールのように言葉を投げて相手に届けるだけではなく、ブーメランとして自分の言葉を客観的な言葉として自分自身に跳ね返し、突き刺す必要がある。