あれ?コンタクトつけてなかったっけ?
見ようとしたって見えないものがある。
そこには言葉が必要な時がある。
僕がズボンを履いているとき、中にピンクのパンツを履いているかどうかを、あなたが目で見て確かめることはできない。
僕がズボンを履いている限り、目で見えない。外側から見ることはできないのだ。ちなみに誰も気にならないだろうが、今日は赤色のパンツを履いている。特に勝負パンツというわけではない。
もちろんズボンを下ろして確認してもらうことはできるが、透視でもできない限りそれは外見からはわからない。僕は透けないズボンをよく履いているのだ。
コンタクトレンズはどうだろう?よく目を覗けばわかるのだろうか。
僕はコンタクトレンズをつけていないからよくわからない。コンタクトレンズをつけた人の目をのぞいたことだってないからわからない。
その人がコンタクトレンズをつけているのかどうかは外側からではわからないはずだ。たぶん。
最近、コンタクトレンズをつけているとずっと思っていた人がコンタクトレンズをつけていなかったことを知った。
え、コンタクトレンズつけてなかったんだ!と初めて知ることになった。
ずっとつけていると思ってた。なぜそう思っていたのかもよくわからないが。
外側からわからないことを知った。それは言葉によってだ。
相手がつけていないんだと言ってくれなかったら、たぶん僕はそれを知ることはなかっただろう。
目で見えないことは言葉を交わせば見えてくることがある。
もちろん、そんな単純に言葉を交わせばなんでも見えてくるということではないのだけれどね。
どれだけ目を凝らしたところで目で見えないこと、言葉を交わしてもわからないことがこの世界にはある。