評価は限りなく、あいまいなもの
評価には限りがない。
たとえば、僕はときにこんなことを思う。
最初の評価が悪かったからこれ以上悪くなることはないんだ、こっからは評価が良くなることしかないんだ、と。評価は上がるだけだ、と。これは結構ポジティブな考えで、多くの人がそう思うような経験をしたことがあるのではないかと思う。
逆に、
最初の評価が良かったから、これ以上良くなることはなくて評価は下がる一方なのだ、と。普通こっちはあんまり考えないけど、なんかこう言う感型に縛られて、いい自分を見せないといけない、みたいに思ってしまうことがある。
でも、僕は思う。
評価ってそうやって、最大があったり、最小があったりするものなのだろうか。
限りがあるものなのだろうか。
たぶん違うだろう。限りなんてないのだろう。
一番下の評価、一番上の評価っていっても、あくまでその時の評価でしかない。たとえ一番上の評価だと言われても、次はもっと上の評価になることだってあるだろうし、クソほどひどい評価であっても、もっと下の評価になることだってあるだろう。
前者は嬉しいけど、後者はなんか怖い。
評価には限りがない。
同時に、評価って本当にあやふやなものだと思う。
その時その時で劇的に変化したりする。
それに対して希望を持てるかもしれないし、絶望を感じるかもしれない。
自分に対するあの人の評価とまた別の人の評価は違ったりするものだ。それは当たり前のことかもしれない。
数字のような評価、給料に関わるような場合、そういうことはあってはならないと思うのだが、その評価を下すものの感情だって影響を及ぼすことだってある。ないとは言えない。
成果だけが評価に繋がることだってあるのかもしれないが、成果以外が評価に繋がることだって十分にありえるし、それはよく起きていることなのかもしれない。
評価って確かに大事なものかもしれないが、それだけを見るんじゃなくて、もっといろんなものを見ていきたいなと思う。
それでも気にしてしまうのが評価であるし、誰かの評価をそのまま自分の評価として受け止めてしまったりするのだが。
この世には、わかってても実際にやるのは難しいことは多く存在する。
評価は限りがなく、曖昧なものであったりする。
だから、それに一喜一憂せず、また振りまわされたりせず生きていきたいものだ。