正しさが崩された時、人は少しイラっとしたりする
自分が正しいと思っていることが怒りの原因である。
自分を正しく完璧な人間であると思わないことが怒りを生まないことにつながる。
こうあるべきだと思っていることがあると、そうじゃない時にどうしてもイラっとしてしまう。
人間はだいたい自己中心的で、わがままだ。自分が好きだ。
あるべきものがあるべきでない時に怒りは生じることがある。
怒るときは様々な理由があるのだろうが、だいたい上のような自分の意思や理想が崩される時に発生するものではないかと思う。
人生なんて自分の思うようにいかないことの方が多かったりするのだから(これは悲観的すぎるだろうか)、自分の理想から外れたり、正しさが乱されたり、そういうことにいちいちイラついていてもどうにもならない。
わかりあえないことが大前提である、自分を理解してくれる存在ばかりではないことを理解する。理想はなかなか叶ってくれない。完璧なんてない。いいことばかりは続かない。
自分の思うように世界はなかなかまわってくれない。自分の思うように人は動かないから、他人を変えるより自分を変えろ、という。
受け入れる姿勢が大事だ。すべて、とは言わないけれども、どれだけ予想外のことが起きても、できるだけ冷静でいたいとは思う。受容する心を持ちたいと思う。
自分が思う正しさやあるべき姿が崩されたとしても、それにこだわって振り回されることのないよう。
こだわる姿勢や強い意思・主張が大事なことだってあるだろう。ここは絶対譲れないという場面だってもちろんあるだろう。
だが、そういう場面が来ても感情をあらわにしてはダメだ。そう思っている。
冷静に論理的に思考をはたらかせることができるか。
俺にはこれしかない!とか俺が好きなのはお前だけだ!とか、それはなんか素敵なことのように思えたりもする。
ただ、ひとつに固執していると、それがなくなった時に道を見失ってしまう。
適度なこだわりや理想を持って、臨機応変な姿勢でいたいものだ。
イライラしないための心持ちを探っている。