このニュースを見たとき、読んだとき、本当に悲しいなぁと思った。
なんでこんなことを言えるのだろう、と思った。
僕も中日ファンでこの野次を飛ばした人も中日ファンだ。同じ中日ファンだ。中日ファンは中日ファンとして括られてしまうんことが多分ある。中日ファンとして一括りにされることはできるけれど、こういうときは、この人だけを排除して考えたいという気持ち。
中学生の時に先生から言われた言葉を思い出す。もし、あなたが学校の外で何か問題でも起こしたら、それはこの学校の生徒がやったこととして、学校全体に、また他の生徒にも迷惑がかかるんですからね、注意しなさいよ、みたいなことを。
同じ学校の生徒というだけで、自分は何も悪くないのに、そういう目で見られてしまうということがあるのだろうな、自分だけが悪くても、それは他の人にも迷惑がかかってしまうのだな、とあの当時の僕は感じとっていた。
同じ中日ファンとして情けないよなぁ、とこのニュースを見て感じていた。
でも、この人を排除する考え方って、この人に向かって中日ファンを辞めろ、みたいに言うことって、よくないよなぁとも感じているのだ。中日ファンというくくりから、この人を排除して考えようとすること。それはどうなのだろうか、と疑問に思った。確かにそう思いたいのはわかるけれどもね、という感じ。
敵に向かって暴言を吐くこの中日ファン。中日ファンからこの男性を追い出そうとしている僕(中日ファン)。
僕たちは同じ中日ファンであり、同じ野球ファンであり、同じ人間であるということを素直に受け止める。誰かを排除することで強くなっていく組織、関係というものを考えてみた。