世界はこんなに素晴らしい

日々考えたことを書き残す

「いただきます」と「ごちそうさま」を当たり前に

大学生になって一人暮らしを始めた。「一人暮らし」というよりも「独り暮らし」だろうか。僕はかなり多くの時間を独りで過ごしてきた。家には自分独りしかいないから、そういうことになるだろう。

 

いつものように弁当を買ってきてテレビを観ながら食べる。ほっかほっか亭で買ってきた日替わり弁当。僕のお気に入りだ。僕は弁当が好きだ。

いや、そんなことはどうでもいい。

今日ふと思ったのは、僕は独りでご飯を食べているとき、「いただきます」を言っているだろうか。「ごちそうさま」を言っているだろうか、ということ。

 

たぶんほとんど言えてないと思う。いや、何も言わずに、手を合わせることもなく、すぐに弁当のふたを開けて、おかずに箸をつけている。

 

今まで家族と食事をしてきて、だいたい誰かと食事をとることが多かった。そのとき、僕は「いただきます」も「ごちそうさま」も言っていた。

それはそこに作り手がいたからだろうか。

それが習慣として身に付いていたからだろうか。

小学校や中学校ではもちろん言っていた。全員が一斉に挨拶をして食事を始め、全員で一斉に挨拶をして食事を終える。

高校生の頃を思い出してみると、そういえば言ってない気がする。ほとんど毎日弁当を持っていっていたけど、挨拶をして食べていなかった気がする。

僕は腹が減っているのを押さえきれず、すぐに飯にありついていた。

 

今少し振り返ってみても、それはどうだったのかな?「いただきます」「ごちそうさま」を言っていなかったのを少し反省的に感じている。大学に入り独り暮らしを始めてからのことについても、反省し振り返り、これからは言おうと思っている。

 

これは家に限った話だけでない。店でもそうだ。僕は吉野家とかマックとかによく独りで行くけれども、そういうとこで食事するときも言ってない。食べる前後の挨拶をしていない。

 

そもそもどうして「いただきます」や「ごちそうさま」を言うのだろうか。これはあまり考えたことがなかった。

 

作り手に感謝するためというのが僕の中での理由としてある。

作り手というのは、その料理を仕上げる人だけでなく、その料理の材料となっている動植物、それを育てる人、そういう人が合わさってひとつのものを作り上げているわけであるから、そういう作り手全体だ。そういうものに感謝をして食べなければならないというのがあるだろう。

 

独りだけど、独りだからこそ、どんなときでもきちんと感謝ができる人、いただきますやごちそうさまを言える人でありたい。僕を生かしてくれているどこかの誰かにこの感謝が伝わることを願いながら。

 

店とかでも、独りで言っていると、少し周りの目が気になったりする。

それでも、

「いただきます」と「ごちそうさま」を言える人でありたい。僕はどんなに多くの人に支えられているのだろう、どんなに多くの人に命を救ってもらっているのだろう。