よりよいリーダー像を目指して
『思えば、孤独は美しい』という本の一部をここに。
リーダーたるもの(ばかりでなく、志あるものは)、
人の規範となるように「率先してやってみせる」べき、
なのかもしれないですけれど、
ぼくはそう考えるのをやめています。
口ばっかりでいいとか、さぼれというわけじゃない。
「率先してやってみせよ」をやってみせている人は、
やってみせなきゃと思う分だけ、無理をするのです。
ふつうだったらしないな、と思うようなことでも、
みんなに「わたしはやっているぞ」と見せるために、
歯を食いしばって無理を続けたりしかねない。
「みんなが見ているから」と無理をする
そして、無理をした結果できたことを、
「ほら見ろ、わたしはできたぞ」と、言ったりもする。
無理から無理への、無言の命令になりかねないのです。
チームがみんなで、もっと成果をあげるためには、
無理をしないでさせないで、何かを生み出すことが、
ほんとうには必要なのだと思います。
「リーダーがあれだけがんばっているんだから、
わたしたちもがんばらざるを得ないんです」というのは、
美談っぽいせりふですが、それはダメです。
おそらく、親と子の関係でも、そうなんじゃないかな。
僕はいままでに、リーダーという立場で動くことが何度かあった。リーダーといったら集団の先頭にたってみんなを引っ張ったり、全員に指示を出したり、といったことをする人を思い浮かべるかもしれない。
でも、リーダーにはいろんなリーダーの形があって、自分はどんなリーダーになれるだろうと考えていた。
僕が実践していたのは、この引用にあるように、僕が率先して動いていれば、みんなもやってくれるやろう、という考えだった。
これをやった結果、どうなったかというと、動いてくれたと言えたわけではない。
これが理想のリーダー像なんだ!と一つに言うことは出来ないと思う。
それは、その人自身によったり、チームによったり、いろいろな場面にあわせて作りあげられるものだろう。
これからも僕はリーダーという立場で動いていきたいと思う。率先してそういう立場になっていきたいとも思う。
僕は自分でどういうリーダーであればいいのか、どう自分が動けばチームにとってよく働くのかを考えていかなければならない。
そういうことを少し考えた。