世界はこんなに素晴らしい

日々考えたことを書き残す

カラオケに行かなくなった。そして多分これからも行かない。

随分長くカラオケへ行っていない。1年くらい行っていないんじゃないかと思う。もしくはそれ以上かもしれない。最後に行ったのがいつだったかよく思い出せない。

 

それはそれで普通のことじゃないか、という人もいれば、そんなにも長く行ってないの?と驚く人もいるんじゃないかと思う。いやどうでも良いよそんなことと思う人がだいたいだろう。

 

最近は誘われても断っていた。何度かしつこく誘われた時もあったが、断ってきた。

カラオケが嫌いなのかというとそうではない。よく行っていた時もあった。それは多分嫌いではなかったからだ。イヤイヤ行ってはいなかったと思う、あの頃は。

 

 

Runnerを熱唱したり、田園をデュエットしたり、締めでにんげんっていいなを歌ってバイバイバイしたこともあった。歌うっていいな、もっと歌っていたいと思っていた。

 

 

でも、今は違う。歌いたいと思わない。

どうしてだろうか。カラオケに行きたい欲、歌いたい欲というものがなくなってしまった。これは今の気持ちなのだが、よっぽどのことがない限り、カラオケは行かないと思う。まず一人では行かないだろうし、他の人に誘われても行かないと思う。

 

これからますます付き合いなどでカラオケへ行く機会が増えていくのかなと思う。それでも行かないだろうなと思う。断るのではないかと思う。

 

ストレス発散のためにカラオケへ行くという人がいる。僕もその中の一人であった。カラオケへ行って歌うと少し気持ちが晴れたりした。スッキリしたりもした。

 

今でもカラオケへ行くとスッキリしたり、ストレスが発散されることがあるかもしれない。それでも行かない。それは、今では他のことでストレスが発散されているからなのかもしれない。多分そうだろう。

 

歌を聴くのは好きだ。これはずっと変わらないと思っている。歌はずっと聴き続けていたい。自分で歌わなくても歌ってくれる人がいるのだ。歌を聴くだけで満足しているのだ。それで十分なのだ。その音楽を聴くということがもうストレス発散になっているのだ。

 

 

僕は幸いにも自分が歌わなくても聴くだけで満足する人間になったのだ。以前は聴くだけでなく、それを自分が歌うんだ、歌いたいんだという思いがあってカラオケへ行っていた。(本当にそうか?)ただ聴くだけで満足せず、自分で歌いたいという人がカラオケへ行くのだろうなどと考えている。

 

僕は歌う側の人間ではなく、聴く側の人間である。わざわざ歌う側へ行く意味を持っていない。もちろん歌いたい人は歌えばいい。歌いたくない人は歌わなくていい。僕は歌わない側、聴く側であり、歌いたくない人だ。

 

カラオケには行かない。行きたいと思わない。歌いたくない時期というものがあるのなら僕はそういう時期に入ったのだろう。僕にとって歌は歌うものでなく、聴くものである。

 

僕はカラオケに行かなくなった。そしてこれからもカラオケへは多分行かない。いや行きたくない。

あんなに楽しそうに熱唱していた自分のことを思い出して笑えてくる。あの時の僕はどうしてカラオケに行ってあんなに楽しそうに歌っていたのだろう。不思議だ。僕がある先輩とカラオケでデュエットをしたときの動画がなかったかなと探しているが、見当たらない。まぁいいか。

 

二次会とかは大体カラオケに行くのだろう。これからも多分カラオケに誘われることがあるのだろう。カラオケに行く流れになる時があるのだろう。行ったら行ったで楽しいのかもしれない。でも、なんか行くのが少し嫌だ。なんでわざわざカラオケに行って歌ったりなんかするのという疑問がいまの僕の中にある。

 

本当に今自分がこういう考えをしているのが不思議だ。

この記事を振り返ったときに、あのときこんなこと考えていたんだと笑っている、もしくは恥ずかしくなっている自分がいるんじゃないかと思う。(ついさっきも今までの記事を読んで恥ずかしいような気持ちを感じていた)

これからも行かないとか言いながら、カラオケ最高!とか言っている未来の自分がいたらそれはそれで面白いと思う。それは多分未来の自分が歌う側へ行ってしまったのだろうと思う。

 

まぁ今の所、僕は聴くだけで、ただそれだけでもうかなり十分だ。満足なんだ。