世界はこんなに素晴らしい

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食パンにマーガリンを塗る音

自分が心地よいと感じる音がある。これは誰にでもあるものなのだろうと思っている。聞こえたら少しうっとりしたり、気持ちいいと感じたりするような音。


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僕は食パンにマーガリンを塗る時の音が結構好きだ。うっとりはしないまでも、気持ちがいいなぁと感じる。あのカサッカサッという音。バターナイフと焼けた食パンがこすれあうあの音。

こすれあう、というのはいいものだ。

 

ただ、こすれあうもので嫌なものもある。それは黒板と爪がこすれあう音である。学校に通ったものなら一度は聞いたことがある音だろう。今思い出しただけでも、ぞっと身体が震える。

 

 

以前何かの番組でタモリさんが、食パンにマーガリンを塗る音嫌いなんだよね、と言っていたのを覚えている。

 

自分の好きなものを必ずしも他人が好きであることなどなく、自分が嫌いなものを必ずしも他人が嫌いであることなどない。

 

このことは、いまはっきりと文で見ると、なんだそんなの当たり前じゃん、と思うかもしれないが、僕たちは本当にこのことをふまえて人と接することができているのだろうか、会話ができているのだろうか。

 

つい自分の好きを相手に押し付けたり、自分の嫌いなものをいかにも相手も嫌いだろうと思って話をしたりしていないだろうか。相手も自分と同じ感情を持っていると誤解してしまうことがあるのではないだろうか。

 

僕だってそういう経験が少なからずある。自分への戒めもこめて、このブログを書いている。

 

 

また、えーそんなの好きなの?ありえない、とか、えー嫌いなの?なんで?とか言ったりしたことがないだろうか。相手の好きを邪魔したり、嫌いを邪魔したり。

相手の好き嫌いを否定することは簡単だ。でも、人の感情は否定できるものでもないし、されるべきではないと思う。

良いことではないよなぁと思う。

 

 

なんで人は自分と同じ気持ちを相手も同じように持っていると思ってしまうのだろう。

 

 

 

人は誰かと同じ気持ちを共有したいという気持ちがある、少しでもその気持ちが備わっていると思っている。

 

だから、自分の好きなものは相手にも好きであってもらいたいし、自分の嫌いなものは相手も嫌いであってほしいと思う。そういうものなのだろうと思う。たぶん。お互い関係が深かったりするととくに。

共感してもらいたい生きものなのだ。

 

自分が相手のことが好きだったら、相手も自分のことを好きであってほしいと思うのは当然だし、それと同じことではないだろうか。僕も好きな人には自分のことが好きであってほしい。

でも、それは傲慢な気がする。自分勝手なエモーションのような気がする。

 

 

この世界にはいろんな人がいる。自分が好きだと思っているものを全部嫌ってくる人だっているかもしれない。

 

しかし、感情ってそういうものだ。好きな人がいて、嫌いな人がいて。好きとか嫌いとかそんなこと思ったことない人がいて。

 

 

この記事で、この世には食パンにマーガリンを塗る音が好きな人もいるんだということを知ることができたと思う。

 

そういう人もいるんだなぁという気持ちを持てるかどうかって大事なことだ。