怒ると認めたことになる
自分に対する侮辱に怒ったらそれを認めたことになる。
だから、怒るな。
その侮辱が明らかに自分に向けられていようとも、である。
怒ることで、自分がまさにその通りであると言っているようなものだ。
バカにされているようでイラっとくることもあるだろう。
相手はそれを侮辱として言っていないかもしれない。あなたが侮辱だと受け止めているだけだったりする。
もちろん侮辱する方だってよくない。だが、そこでその侮辱に反応してしまうと、それを認めたことになるし、相手の思うツボだ。
怒ることは認めることである。
「お前うそついてるだろ?」
「は?そんなわけねぇだろ?なんで俺がうそつくんだよ、ふざけんなよ」
怒りをあらわにした途端に、少し強い口調になった途端に、それを認めてしまっていることになる。
図星。
人は自分のことを知ってほしいという感情とともに、知られたくないという感情も持っている。面白いものだ。
知られたくないことを相手に知られた時に、イラっとすることがある。
相手に付け込まれることを恐れているあまり、自分の存在が危ぶまれることを恐れる。
それが怒りにつながることもある。自分のことを見透かされると、怒りの感情が芽生えたりする。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』でもそんなシーンがあったような気がする。
怒ったら、認めたことになる。
これは非常におもしろい。怒りが肯定をあらわす、というのは。
もちろん口では否定していても、だんだんその否定が強くなっていくと、ますます肯定のゲージが溜まっていく事になる。
とても興味深い。
怒るのもよくないけど、黙るのも同時によくなかったりする。
これだからほんとうに人間関係は難しいなと感じる。人との接し方は困難の連続だ。
黙ったら黙ったで、言葉を発さなかったら発さなかったで、それが本当だと相手に受け入れられてしまうのだ。
僕は以前、怒ってる?怒ってる?となんども聞かれて少し嫌になって黙っていたら、あぁ怒ってんだ、と言われたことがある。
そう、怒ってんだよ。なんで、無口で顔を少ししかめていたり、そっけない反応をしたりすると怒っていることになるんだろうな!
ごめん、僕が怒ってしまっている。
そう、やっぱり、怒ってる?と聞かれてそれにイラっとくるということは、やっぱり実際に怒っているのだ。
怒ってる?という言葉を認めてしまっているのだ。こりゃ良くない。
できるだけ怒らないでいることが、僕の生き方でもある。