隣の同棲カップルはよく笑う
僕の部屋の隣には同棲しているカップルが住む。
窓を開けていると、話している声がかなり聞こえてくる。はっきりと会話の内容が読み取れてしまうこともある。お互いが窓を開けていると、どうもよく音が届くようだ。
とても楽しそうな笑い声や話し声が聞こえてくる。
カレーをよく作っている。においがこちらの部屋まで届いてくる。声もにおいもよく届く。
僕は少し嫉妬しているのかもしれない。
夜だいたい23時くらいからだろうか。女性の喘ぎ声が聞こえてくることがある。
向こうは窓を閉めているはずだが、こっちは暑くて窓を開けているもんだから、どうしても音が漏れて聞こえてきちゃうことがあるのだ。
その会話や喘ぎ声が自然と耳に入ってくる状況は、なかなか精神を苦しめたりもする。ひとりvsふたりでは、ふたりが圧倒的に強いと感じてしまう。ひとりの時に感じる強さ、無敵さなどというものを僕は兼ね備えていると思っていたのだが、どうもそうではない時がある。
そういう時は、窓を閉めることもある。
窓を閉めると、向こうの声は入ってこない。
自分の聞きたくないものを、閉ざすことのできる窓をありがたく思う。
そうすると、僕はひとりの時間を過ごすことができる。それでも、それは窓の外のことを想像してなかなかひとりになれなかったりするのだが。
たまに、口喧嘩をしている声が聞こえてくることがある。
良いことばかりではない。楽しいことばかりが起きているわけではない。
ただ、口喧嘩も良い意味づけができ、それが二人をさらに深い関係へと運ぶことだってあるから、一概に喧嘩をすることが良いことではない、と言えない。
それも同棲をしているとよくあることで、付き合っているとよくあることで、そういうものがあってこその関係なのだろう。
僕は彼女と同棲することを想像する。
今のところ、とてもできそうにはない。憧れやそういう類のものが少しはあるのだが。
同棲をしたらしたで、なんとなくうまくことが運んだりもするのかもしれないが、想像の範囲ではなかなか自分にとってきついものだと感じてしまう。
楽しいことも辛いこともどちらも思い浮かぶ。それが一緒に暮らすときに、当たり前となって現実にあらわれることなのだろう。
いまも、話し声が聞こえてくる。
いいか、隣人を愛せよ、と自分に言い聞かす。
たまに窓を閉じて、扇風機をつける。
暑さが増すこれからというもの、家にいる限り、窓を開けている時間は増えるだろう。ますます声は聞こえてくるのだろうか。
この文章を隣の部屋の住人に見られていないことを願う。
万が一、見ていたとしても、決して何事もなく、今まで通り過ごしてもらいたいと思う。当たり前のように声をあげてもらいたい。
どうだろう、気持ち悪いだろうか。
しょうがない、聞こえてくるもんは聞いてしまうものだ。
僕にちゃんと聞こえる耳があるからそこに音があるのか、そこに音があるから僕の耳に音が届くのか。いや、そんなことはどうでもいい。
いや、どうでもよくない。これはこれで面白い。
触れられるからそこに物があるのか、物があるからそこに触れられるのか。
僕が音楽を流しているのも向こうに聴こえていることだろう。
独り言を言っているのも聞こえているかもしれない。笑っているのも聞こえているかもしれない。
僕が鼻水をとる音やくしゃみの音はお互い窓を開けていれば聞こえているはずだ。
お互い許しあって、それぞれ生きていこうよ、と勝手に言葉を頭の中で隣人に投げかける。
隣の同棲カップルはよく笑っている。それは僕を苦しめたり、たまに心地よさももたらす。僕はひとりじゃない。