世界はこんなに素晴らしい

日々考えたことを書き残す

映画を観るきっかけはなんだっていい

 

映画を観るきっかけは、もうどんなことでもいいのだ。

映画を観ること自体が、映画好きになるきっかけになっていて、そこで本当に映画好きになってくれたら、もしそうなってくれたら僕はとても嬉しいと思う。

どの目線で僕は言っているんだ?

 

 

僕が映画をよく見るようになり、好きになったのは、なぜか。

実はそれはもう思い出せなくて、というか、そういう好きになったきっかけはもしかしたら明確になかったのかもしれない。

 

大学に入って、夢中で映画を観始めて、映画を観るということにハマっていった。そこで感じること、そこから学ぶこと、そのでかさにのめり込んでいった。ただ観て面白くて、楽しかった。

 

この作品に出会ったから、映画を好きになったみたいなものも、おそらくない。

 

 

映画を観るということにおけるきっかけっていろいろある。あの女優が出ているから観ようとか、原作の漫画が実写化されたから観に行ってみようか、とか。あの人がオススメしているから観てみようか、とか。

 

それは十分な動機になり、映画を観るきっかけになる。

 

もうなんだっていい。

 

そこで映画を観るという行為を通して、その作品を通して、なにかしら得られるものがあるはずだ。

 

また、同じ女優の作品をみてみようとか。この監督の別の作品を観てみようとか。

 

もしくは、このテーマは自分には合わないなとかそういうことも学びとしてわかるかもしれない。

 

僕はこの作品を観ろ、なんてことが言えるほど、映画のことを知らないし、観た作品だって多くない。

 

だけど、映画を観ることの素晴らしさや、映画を観ることは観ないことに比べたら、それはいいよ、と言うことだったら言える。

 

映画を観よう、と僕が言うのはおこがましいかもしれないけど、映画を観るには、どんなきっかけであれ、どんな動機であってもいい、だからこそ観て欲しいと僕は思うのだ。

 

 

最近、アン・ハサウェイのヌードが見れるからという理由だけで、何だかエロそうな映画じゃないか?という理由だけで、『ラブ&ドラッグ』という映画を観た。

 

もちろんその映画におけるアン・ハサウェイの裸体も良かったのだが、そのことを越えるくらいの素晴らしいストーリーに出会えた。

ジャケットで完全にそんな映画じゃないだろうと思っていた。こういう驚きや発見、期待を裏切られたりもするから、映画を観るのをやめられない。

 

 

彼女を家に誘う文句として、「僕の家で映画を観ない?」と言うのがある。僕はそれを何回か言ったことがあり、成功したり失敗したりした。

 

ふたりでレンタルショップでなにを観るか決めるのとかは最高の時間だと思う。あれは、これからの二人の時間を考えている時間だ。

 

ここで自分の好きな映画を熱く語りすぎないのに注意だ。それは確実に嫌われる。

それよりも女性のことを。好きな映画を聞き出してあげたりする。

 

一度自分が観た作品だって、相手がかなり観たがってたら、観てないと言って、観るのだ。二回観たって映画はいいのだから。二回観れることを嬉しく思おう。

 

 

家でふたりで並んで映画を観るって素敵だ。

動機はただ、家に誘うかもしれないけど、その映画がそこで好きになったら、それはとても嬉しいことだ、いい作品に出会えたり、ふたりで笑ったり泣いたりできたら、もう本当にそれは素晴らしいことだ。

 

たとえ、途中で寝ちゃったり、観はじめてすぐベッドに行っちゃったりなんてことがあってもそれはいい。それはそれでまぁいい。

 

で、朝起きて、せっかく借りたし、明日続きを観るかなんて言って観る。すると、そこであぁいい作品だったなんて思ったりする。

 

もうそこに彼女はいなくて、家に帰っている。

また、映画観に来なよ、はもう通じない。

 

 

とにかく、映画を観るきっかけはなんだっていいのだ。

 

ねぇ、誰か僕の家で一緒に映画観ない?