夢中になっているときは、だまって見守る
僕は、テレビゲームをほとんどすることがないまま、22歳の現在に至る。
小学校の時は、テレビゲームを買ってもらえなかった。いや、買ってもらえなかったというより、買いたい気持ちが僕の中になかった。
たしかに友達でテレビゲームをしていた人はいたけど、それでも特に欲しいと思う気持ちがうまれることはなかった。
勉強をしていたか、野球の練習をしていたか、友達とサッカーをして遊んでいたか。学校以外の時間の使い方はだいたいそんな感じだった。
ゲームをする時間ってそんなになかったように思う。
たまに友達の家へ行っても、僕はただ友達がゲームしているのを眺めるだけ。実際にすることはなかった。やりたいと思わなかった。今でもやりたいとは思わない。
ただひとつ、買ってもらったゲームを覚えている。野球のゲームだ。それもコントローラーなどがあるわけでなく、おもちゃのようなバットがあり、ボールがあり、実戦形式のようなゲームだったのを覚えている。テレビに映る映像を見ながら、それに合わせて来た球に対してバットを実際に振っていく。
それは親が野球の練習のために買ってくれたものだと思う。ほんの少しハマってたと記憶している。
あと、野球盤もやってた。あれはまたやりたい。懐かしい。
中学、高校も同じような感じだ。
部活と勉強の生活。遊びという遊びをほとんどしていない。テレビゲームはもちろん、他に遊ぶなんてことはほとんどと言っていいほどなかった。
青春というもの、それは恋愛ということだが、そういう経験はひとつもなかった。部活と勉強、本当にそれだけだったと思う。
大学に入ってもゲームはしないままだ。
自分で働いてお金を稼ぎ、ゲームを買うお金はある。だけど、ゲームを買うよりは、本を買ったり、食事にお金を使うことが多い。
僕はゲームをしない。だからといって、ゲームをする人を批判するような、ゲームをしない人でありたくはない。
大学に入って、ゲームの何が面白いのか、そういうことに時間を使うよりも、読書や映画、旅行とかに時間を使った方がいいだろうと思っていた。ゲームをする人を見下したり、批判する気持ちが少しあった。それを友達に伝えてしまうことだってあった。
アニメとかアイドルに関してもそうだ。
どこかバカにしたり、自分の趣味より価値の低いものだと捉えてしまうところがあった。
まぁ、それは僕がラブライブや乃木坂にハマることになって、価値が低いなんて言えなくなってしまったのだが。
人の趣味や好きなものに、価値の優劣などない。
その人の好きなものを低くみたり、貶したり。ゲームより読書の方が価値があるとか。
そう考えたくはないし、そう考えていた過去の自分を恥じている。
自分が人生に置いて何に重きをおくか。
自分が何をして過ごすのが一番楽しいのか。
機嫌よく過ごすことができるのか。
そういうことはもう人がそれぞれ独自に持っていることだ。
僕にとってはそうだけど、君はそうなのね。
誰かの趣味や好みに口を挟むことは野暮だ。
どうだろう?これから僕はゲームにはまる時が来るだろうか。それはわからないが、今の所は、読書や映画にハマっているから、それに夢中になろうと思う。
夢中になれるものがあれば、もうゲームだってアニメだって、なんだっていい。
夢中になれるものがあることは素晴らしく、幸せなことだと思う。
誰かが夢中になっているときはだまって見守ってあげようよ。
ゲームに夢中になって、読書に夢中になって、映画に夢中になって、アイドルに夢中になって。ほんと幸せもんだな僕たちは。
相手の幸せを奪いたくないし、自分の幸せを奪われたくない。
だまってお互いが幸せを感じるためには、見守って、尊重して、認めて。それだけでいい。