説教の効果はその長さと反比例する
説教されるのは、本当に嫌なことだ。
人からグチグチと何か言われることを好む人はあまりいないだろう。
グチグチとでなくても、親切に何かを説いてくるような人も好まないだろうと思う。
説教される時は、とてもそれが嫌な時間なのだが、説教する時になると、それがなぜか気持ち良い時間になったりする。
もうその人は相手のことを考えず、悦に浸っている、自分に酔っていることがある。
僕は説教をされたことが多々あるし、説教めいたものを相手にしてしまったこともある。
小学校の監督から、中学校の部活の先輩から、高校の先生から、大学の先輩からなどなど。たくさんの人から説教を食らったことがある。
説教というのは、ただ悪いことをしたからされるものではない。相手がただしたいからしているところもある。
説教はする側のためにあるものなのだと思う。
河合隼雄さんの『こころの処方箋』という本には、
「説教というものは、説教する人の精神衛生上大いに役立つものである。」
「説教される側は精神衛生のために協力していると考える。」
といったようなことが述べられている。
説教が効果ないとは言わないけど、長くなれば長くなるほど、その効果は薄れてくる。全然伝わらない。あぁ長かったなぁということだけを思ったりする。
校長先生の長ったらしい話もこういうことが言えるかもしれない。儀礼的なものや形式に縛られている。
説教とスカートは短い方がいい。