世界はこんなに素晴らしい

日々考えたことを書き残す

たとえ話は人を選ぶ

具体的に話せば話すほど、わかりやすくなるかというと、そんなことばかりじゃない。

 

たしかに、具体例を用いて話したり書くことは、その文章をわかりやすくさせることもあるけど、逆にわかりにくくもさせる。相手を混乱させることだってある。

 

まったく伝わらないことがあるのだ。

 

よくドラゴンボールの話をたとえ話で出されて、ますますその話がよくわからないなんてことがある。

 

ポケモンのキャラを用いてたとえツッコミをされることがある。わけがわからず、ただ呆然とする。

 

僕はドラゴンボールを読んだことも見たこともないし、ポケモンはゲームをやったこともアニメも見たこともない。

 

 

お前これぐらいの漫画は読んでるだろう?このアニメは見てるよな?このゲームはやってたよな?という前提で話しかけられるのが嫌いだ。

どう反応していいのかわからなくなったりする。

 

まぁ自分も相手が当然知っているだろうと思って話をしてしまうことがあるから、それは気をつけなくちゃなと思う。

 

 

ある程度の人数に向かって話すなら、なんとなく例外はでてしまうだろうから、そういう例え話を使われてもなんとなく、他の人は理解しているんだろうなということでたとえ自分がわからなくても、なんとか気持ちが落ち着けるのだが、一対一の会話でこれをやられると、きつい。

 

知らないことは知らないと正直にいうのが僕のモットーであるが、そこでの反応が、あぁ知らないんだと思われるのならまだいいが、知らないのはダメだよ、絶対これはやるべきだよ、と迫ってくるような人がいる。つらい。

 

自分にとっての当たり前は、思ったよりも相手に伝わらない。

 

で、絶対読んでよ、とかこれは間違いなくやるべきだよ、という人は本当に怖い。恐れ。覚せい剤とかタバコとかそういうことを勧めてくる人と同じだ。怖い。

 

みじかな人のオススメはなぜか乗れなかったりする。

だけど、有名人とかのオススメにはかなり食いついて実際に自分でも買って読んでみたりする。

 

たとえ話は人を選ぶ。本当にそのたとえで自分の話はわかりやすくなっているのか、相手にちゃんと伝わっているのか、特に少人数での会話なんかでは気をつけたいものだなぁと思う。

 

 

ちゃんと相手の反応をよくみて、言葉や例を考えるべきで、でもそれは結構難しかったりもするけど、