完璧な準備は柔軟性に欠ける
完璧な準備がすべてではない。
完璧な準備すれば完璧に準備した通り出せるだろうけど、それ止まりだし、柔軟性やとっさの対応力に欠ける。
先日、久しぶりに面接試験というものがあった。面接試験なんてのは高校受験の時以来だから、とても久しぶりだった。
僕はほとんどまったくと言っていいほど準備をしていかなかった。志望動機やおきまりの質問はある程度予想しつつ、回答もまったく考えていかなかった。
それで案外うまくいったのだ。志望動機は聞かれなかった。
うまくいった経験は次の準備を怠らせる。準備を怠ってはいけないのだけれど。
確かに準備ができるのならした方がいいという考えもあるだろう。
何に取り組むかでどれだけ準備が必要かが変わる。これだけやってればもう飛び込んじゃってあとで修正したりなんとかなるよ、ということがある。準備ももちろんしなくて良いというわけではない。
面接において大事なのは、どれだけ正確に回答を答えられるかではなく、またどれだけ回答を暗記していてそれを的確に素晴らしい回答としてたたき出せるかではなく、どれだけ自分の考えを伝えられるかだと思っている。
今回の試験でも僕は自分の考えをはっきりと伝えた。
もちろん、それは今まで学んできた教育の問題に関して自分で考えていたから、出せた答えや伝えられた考えであると思っている。
だから準備はしなくてもいいよ、なんてことを言いたいのではなく、自分の中にちゃんと考えを溜め込んでおきたいよねということ。
でないと、言葉もうまく出てこないし、そもそも考えの軸がブレブレになっちゃう。
この質問がきたらこう答えようとその答えだけ準備していると、うまくいかないだろうなとは思っている。
ある程度の答えは用意しつつも、完璧に言葉なんて覚えてしまわなくていい。覚えない方がいい。
その場で考えて言葉を出せるように、考えをあらかじめたっぷりとためておくのだ。もちろん、質問の予想はした方がいいかもしれないけど。
でも何か一度うまくいってしまうと本当にズルズルと引き伸ばしちゃうことはあるから、そこは引き締めなきゃならないところだ。
よくあるだろう。以前のレポートは三日前に始めて間に合ったから、今回もまだ始めなくていいや、というやつ。
これは誰しもやってしまうこと、そういう風にできてんだろうな。