世界はこんなに素晴らしい

日々考えたことを書き残す

吠えるか吠えないかのどっちかだ

新聞を毎朝配達する。

 

たいていは真っ暗な家へと運んでいく。多分寝ているだろうから、ポストの音など、音があまり立たないように少し気にしたりする。

 

僕が毎朝新聞をポストに入れるときに、ひとつどうも運びにくい家がある。

 

その家にはものすごく吠える犬がいる。番犬とでもいうのであろうか。家のなかで飼っているのだが、ポストにかなり近いところにいるみたいだ。

音を立てないように気をつけていてもやっぱり吠える。

 

新聞を入れるときに、いや、入れる前にもう人がそこにいることを察知して、吠える準備をしていて、僕が新聞を入れたとたん、もううるさいくらいにキャンキャンと騒ぐ。

 

新聞配達をしているときというのは、それはまだ4時ごろである。寝ている時間だ。その家も明かりがついているわけではないから、家の中の人たちはおそらく寝ているはずだ。

 

あの犬の吠えが寝ている彼らを起こしてしまっているのではないかと思う。

 

僕が新聞をポストに入れてその家を離れても、まだまだ吠える手は止まらない。

 

ただ、これが毎回ではなくて、10回に1、2回ほど吠えない日というのもあるのだ。

僕が特にその時だけ何かを意識しているわけではなく、時間も同じはずなのに、キャンキャンしないのだ。

 

それがどういう時なのか僕はまだ法則的なものを見つけることができていない。

でも、そんな法則はなくて、ただ、まだたまたまその日は寝ていてとか、そういうことなのだろうと思うが。曜日も関係はないようだ。

 

今日は吠えるか、吠えないか。僕はその家に配達する前になんとなく予想するようになった。今日はどうだろうって。

 

あの鳴き声は、飼い主を参らせているのだろうか。犬に起こされているのだろうか。貴重な睡眠時間を奪ってしまっているのだろうか。

 

そんな罪悪感もちょっと抱えつつ、これからも配達していくのだろうと思う。

 

 

僕は犬がそコマで好きではない。どこかで怖いと思っているところがある。

 

小学校のとき、野球の練習が終わり、グラウンドから家まで走って帰ることが多くあった。

いや、走って帰るのではなく、走って帰らされるの間違いだ。なにかあると、よく走って帰らされていた。

 

練習が遅くなり、暗い道を、ひとり寂しく走る日もあった。

 

僕が住むところは田舎で田んぼが多い。家がポツポツとあり、街灯もほとんどない道を帰るときもある。車もあまり通らない。

 

僕はある日、野良犬に出会ったのだ。それもかなりでかい犬。そんな犬はいままで見たことがなかった。

 

僕は最初そこに何がいるのか暗くてよくわからなくて、普通に通り過ぎて走り去っていこうとしたのだが、その何かは僕の後ろをついてきた。

 

音で犬だとなんとなくわかって、僕は怖くなって、思いっきりスピードを上げて走った。

そうすると、犬は吠えながら追いかけてきた。犬のスピードに、人は勝てない。小学生は犬より遅い。

 

ものすごく早くてすぐに追いつかれてしまって、僕の目の前でためらわずわんわん吠えた。僕はそれがとても怖くて、というか小学生の僕は、犬に噛まれてしまうような気がして、助けの声を上げた。かなり大きな声で周りに気づいてもらえるように声を出した。

 

近くの家の人が来てくれて、なんとか犬は追い払われた。

僕は心臓をバクバクいわせながら、家までの道をまた走った。

 

それから、その道を通るときが怖くなった。犬もその時から少し怖くなった。

 

 

妹たちも犬が苦手で、犬はもちろん、動物を飼ったことがない。これからも飼うことはないだろうと思っている。

 

いまでは、触れるくらいには、犬にも抵抗がなくなった。だけど、まだそこには恐怖心がある。犬の鳴き声に敏感になっている自分がいる。

 

 

 

さて、明日もあの家へ新聞を運んでいく。ポストへ新聞を入れる。

明日は吠えるだろうか、はたまた、吠えないだろうか。