法律を守ることが自尊心を高めることへ
信号をちゃんと守っていることが、自尊心を高めてくれる。
新聞配達のアルバイトを始めて1か月が過ぎた。毎朝早起きして、配達所へ向かう。
だいたい朝3時30分くらいには家を出る。
外はまだ暗い。
信号機は点滅しているところもあるが、点滅でないところもある。
まったく車が通る気配はないのに、信号機は青から赤に変わり、また赤から青に変わる。
誰も通らなくとも、信号は働き続ける。信号はずっと起きている。
車だけでなく、自転車も歩いている人もいない。そんな3時30分の早朝。
朝、自転車に乗って配達所を目指す。点滅でない、無視できない信号が、その道中にいくつかある。
誰もいない。車もまったく通る感じがない。
信号を無視することは法をおかすことなのだけれど、その暗さと人がいないという状況が、別に信号を無視しちゃってもいいのではないかと思わせる。
実のところ、何度か信号を無視して渡ったことがある。
遅刻しそうになって急いでたりするときに。
だけど、なんか赤信号を渡ってしまった後、罪悪感が残るのだ。信号無視はやってはいけないというそのルールを破ってしまったことが、僕になんか変な嫌な感じを思わせる。
まぁでも、だいたい、最近の朝は、信号を守るようにしている。
信号を守るなんて当たり前のことじゃないかと思うかもしれない。
そうだ。当たり前のことだ。
だけど、信号のルールをいままで一度も破ったことのない人はいるのだろうか。
赤信号だけど、渡っちゃった経験がない人がいるのだろうか。まぁこれは自転車や徒歩とかに限られるのだろうけど。
赤信号だけど渡ったという経験がないという人は、嘘をついたことがないという人と同じくらい信用がおけない。これはもしかしたら、田舎で、人も車通りも少ないからこそ言えることなのか?誰でも赤信号を渡ったことがあるだろうと思っている。僕も君も犯罪者だ。
赤信号みんなで渡れば怖くない、そんな言葉がある。以前のバイトの帰りなんかは、逆に深夜に家に帰ることが多くて、まさにこれだった。車も人もいない横断歩道を自転車でみんなで帰り、先頭をいく人が信号無視したら、後ろの僕も同じように信号を無視する。
早朝の赤信号こっそり渡れば怖くない、なんてことは言えるか。
赤信号をちゃんと守って、青になるのを待っているということが、僕の心をなんとなく満たしてくれる。
俺は誰も見てないのに、誰も通るはずないのに、赤信号で止まってるんだぞということが、僕の自尊心を維持してくれる。高めてくれる。
誰かが見ているからやるんじゃなくて、誰が見ていようとも見ていなくとも、やる。
いろんなことにこのことは言えそうだ。
努力だって人に見せるものではない。人に見せたらそれは努力とは言えない。
早朝にただひとり信号待ちをしてみよう。散歩がてらでもいい。渡ってもいいんじゃないかという気持ちを抑えて、青に変わるまで待ってみよう。
案外気持ちがいいのだよ。これって僕だけかな。