世界はこんなに素晴らしい

日々考えたことを書き残す

詩人であり続けたい、ポエム人を愛す

 

中学生、高校生の時にポエムを書いていた人とは、友達になれる気がする。

 

なんて始めてみたけど、やっぱり友達にはなれそうにない気がする。

ポエムのようなものを書いていた僕自身、そういう自分と友達になれるかって言われると、なれそうにない気がする。

 

いきなりポエムのようなことを言ったり、ラインでそういうことをカッコつけて書いてきたりされると、ちょっと引かないだろうか。

 

自分が相手だったら引かれるだろうと思っていることを、自分でついやっちゃう。

 

 

授業中、暇になると、授業のノートの端にポエムを書いていた。これは中高生のときだけじゃなくて、大学生になっても同じだ。ノートの端はポエムの場所なのだ。

 

だから、授業のノートは誰にも見せることができない。見せるのが嫌だ。

 

ポエムを見られることほど恥ずかしいことはない。自分の裸を見られる方がまだいいかもしれない。手帳だって同じだ。手帳と裸どっちかを見せないと殺すと言われたら裸を見せる人物である。

 

なんでそんなに恥ずかしいか。自分の字がとりわけ汚いとか、そういう面で恥ずかしいのではなく、そのポエム自体を見られた時の反応を考えて恥ずかしくなったり、自分の内側を見られたと感じたりするからだろうと思う。

 

  

大学に入ると、それまでと同様にノートの端に言葉を書き連ねることも続けつつ、ツイッターでもポエムめいたものをつぶやき始めた。

 

ポエムのようなものを不特定多数の人の目にさらすようになった。

今まで裸以上に見られることを嫌っていたポエムを、どうして公にするようになったのか。そこにはやはり、それを誰かに認めてもらいたい気持ちがあったのだと思う。

 

この気持ちは複雑だ。誰かに見られたくない気持ちが消えた訳ではないのだけど、どこかで誰かに認められたい、みたいなそういう気持ちがある。

 

 

自分の言葉を受け止めてもらいたかったのだと思う。残念なことにノートは書いても反応してくれない。

 

直接特定の誰かにノートの端を見せるのは今でも嫌なことだが、ツイッターは不特定多数の人物に提示することであり、そこではなぜか恥ずかしさといったものや、自分を見透かされている感じもしなかった。嫌ではなかった。

 

 

たまに会った友達とかに直接、ツイッターで書いていた内容のことを言われることがある。あれはどういうことなんだ、とか。あれは良かったとか、それがたとえいい評価でも、直接言われるのは多分恥ずかしさもどこかあるのだろうけど、なんか好きではない。

 

もちろんそれを元に話を展開していってもらっても構わないのだけど、なんか自分のツイッターでの内容に関することを話に出されると、むずがゆく感じる。

 

それならまだツイッター上で言ってくれた方がいい。悪意も直接言われるよりはツイッター上の方が、気楽に見れて、無視だってできるからいい。

 

 

ポエムっていうのは、他人が書いていると、どこか気持ち悪さや何カッコつけてんだよと思ったりする。

だから、多分自分のポエムめいたものも、どこかでそのように思われているんだろうな、ということを感じる。でも、やっぱり書いちゃう。気持ち悪いとかカッコつけんなと言われてもやっぱりついそういうことを書きたくなって書いちゃうのだ。

 

男はカッコつける生きものだ。見栄を張ってカッコつけたがる。

 

 

どんな人物にもぴったりはまる言葉なんてないし、どんな人でも好きに決まってる文章なんてない。僕のポエムのような言葉も、いいと思う人がいれば、なんか感じ悪いと思う人もいる。

 

それが普通なのだ。みんなから好かれたいと思っていても、絶対にどこかにその人を気に食わないと思う人はいるだろうし、この僕のブログだって絶対にそうなっているのだ。

 

好きな人が一人でもいればいい。いや、自分が好きになれたら、好きな人は周りにいらないのかもしれない。最近『読みたいことを、書けばいい』という本を読んで、自分が読みたいものを書くこと、自分が楽しく書いていないと他人は楽しくないこと、自分の機嫌のためにものを書くということを学んだ。

 

 

僕はポエムを書き続けたいし、ポエムを書く人をバカにせず、愛せる人間でありたいと思う。ポエムはその人をよく表す。人柄がよく出てくる。

 

今ではそんなにポエムのような文章をツイッターにあげていないけど、そういうことをしたい気持ちがなくなった訳ではない。

 

 

僕はいつまでもそういう詩的とまではいかないけど、ポエムのようなものを書いていきたいなと思っている。自分のために。で、そうやってポエムを書いているような人を僕は愛したいし、なんか愛くるしいなと思ってしまうところがある。