世界はこんなに素晴らしい

日々考えたことを書き残す

それでも何かの役には立ってる人生の

役に立つだけがすべてではない、役に立つからやるんじゃない、と今までいろんなとこで聞いてきたし、自分に言いきかせてきたところもある。

 

英語の勉強をなぜするのか、という問いに関しても、役に立つからという理由で語りたくないのに、結局のところ役に立つという理由で片付けてしまうところがある。

 

いずれ役に立つからという言葉はどこか遠さを感じさせるもので、役に立つからというだけでなかなか行動することができない。役に立つのはわかっているのだが、わかっているからといって、それを実際にできるかはまた別のことだ。

 

役に立っていることを実感できるととても良い。僕たちはなかなか自分を肯定するのが苦手で、当たり前を当たり前として受け入れることに慣れていて、今を見つめて自分を認めたり、今を有り難いと思うことができていない。

 

僕が今やっていることは過去に僕が学んだことが役に立っているからできることであるし、僕が今当たり前に物を買ったり、YouTubeを観たりしているのはどこかの誰かの役に立っているのである。自分はとても役に立っている存在なのである。

 

何かを買うことが誰かのためにも、自分のためにもなっている、誰かの役に立っていることに気づく。