断るっていうのはかなりのエネルギーが必要
「なんで今でもそんな忙しいのに、また新しい仕事引き受けたんだよ」
とか、
「そんなに大変なら頼まれても断ればいいじゃない」
とか、
僕はときに人に言ってきた覚えがある。
先輩としての立場とか。友達としての立場とかで。
逆に、友達や先輩などから言われたこともある。
「お前、なんでもやりすぎじゃない?」
「なんでまた色々なものに手を出してんの?断った方がいいよ」
僕は断るということがあまりできない人間だと思っている。それは僕に頼んできた人にもよるし、その時の場合にもよるのかもしれないが。断るときに、どうしても相手のことを気にしているところがあって、そこに自分というものがないときがある。
それでは、ダメだなと思って、最近は断るということが少しできるようになってきたと思う。ただ、忙しい時とか、断りたい時とかは断るべきだ、断った方がいいと全てにおいては言えないのではないか。断らずに任されて、流れに身を置くこともまたいいのでは、と思うのだ。
僕は人に向かって断った方がいいんじゃない?とか断れよ!というときは大抵自分の経験から物を言っている。たいていの助言というものは自分の経験からきているものだろう。
自分が辛い思いをしているから、自分が過去にこんなことがあったんだよ、辛かったんだよ、だからお前も断れよ!断った方がいいよ、的な自分の経験で感じたことを他人位押し付けている。
他人と自分を同じ舞台、同じ位置で考えてしまっていることがある。
人の経験というのは自分にとって役に立つことがある。僕が今生きているのも、だれかの経験のおかげだ。
しかし、経験を他人に押し付けてしまうことは少しおかしな行為ではないかと思ったりもする。
俺はな、こんな経験をしたんだよ!こんだけ苦しかったんだよ!だからな、お前もやらない方がいいよ。絶対に。
いやほっといてくれ。あなたの経験を私に押し付けないでくれ。俺が苦しくなる、とどうしてあなたがわかるんだ、どうしてそう決まっているんだ?
相手からその人の価値観、経験を押し付けられると、もうそこに自分はない、なくなってしまう。
体験談というのは確かにためになるものだ。でも、全てを信じていても、それが全く自分に当てはまるとは限らない。自分には自分のやり方、自分には自分の感情、自分には自分の考えがそこにあると思うのだ。
何がいいたいのかよくわからなくなってきた。なんだかまとまりがない文章。勢いでノリに乗せて書いている。
僕には断るということにエネルギーが必要なんだと思う。他にもそういう人はいるのではないかと思う。簡単に断れる人もいるだろう。そこになんの戸惑いもなく、いや、無理だわ、といってすぐに断ることができる人もいるだろう。
でも、少なからず僕においてはそうではないと思っている。断ることは簡単ではなく、結構大変なことなんだ。他人のことを考えているから、誘いには乗って行くほうが楽だから、断らずに引き受けるほうが簡単。だからそれを選んでいるというのもあるかもしれない。
乗って行くことが悪いことではないと思っている一方で、本当に自分を保つためには、断る時はしっかりと断るということも大事だなーとももちろん思っている。
でもね、
僕に対して、断れよといってくる人、やめておいた方がいいぞといってくる人、そういったことをやめてほしい。
お前のためを思っていっているんだぞ!
いや、知らんがな
知らんがな、あぁ知らんがな、知らんがな。
僕は自分への戒めとしてもここに書いているところがある。自分も子をつけたいなと思っているのだ。こういった発言を。
なんであの時止めてくれなかったんだよーとかいう人がいるね。
後悔なんてさせておけ、と思う。