世界はこんなに素晴らしい

日々考えたことを書き残す

誰かのために、自分のために、募金をする

最近募金をするようになった。

コンビニでお釣りが出た時とか、レジの横に置いてある募金箱にお金を入れる。

今まであまり意識的に入れたことがなかったが、1週間前くらいからだろうか、お金を入れるようになった。

 

昨日の昼はモスバーガーに行って、ハンバーガーを注文して代金を払い、お釣りが出たので募金をした。

その夜もバイト帰りにコンビニに寄って、明日の朝食を買って、そのお釣りを募金した。

 

募金をするということを公にすること、ここで書くことを前向きにはしたくない気持ちがある。どうしてか、僕はそういう人が嫌いだからだ。俺さ、今朝募金したんだよねとか、そういうことはわざわざ人に言わなくてもいいだろう、と思う。えらくね?を付け足す人もいる。そういう人はあまり好きではない。募金したことを他人にいう必要なんてない、言わなくていいことだ。言わないほうがいいことだ。

 

僕は、募金するようになったことを誇りたいわけではないし、褒めて欲しいわけではない。ただ募金をし始めたという話としてここに書く。

 

募金をし始めたというのには実は理由があって、それは財布を持たなくなったからだ。どうして財布を持たなくなったのかはまたどこかで話すとして、お金はポケットに入れるようになったのだ。ポッケが財布。

 

ポケットに千円札とか100円玉とか入れて歩いている。店で何かを買い、お釣りがくる。すると硬貨の数は増える。だから募金をすればポケットが軽くなる。募金をするのはその理由があるからというのが一つだ。募金箱があればできるだけ募金をする。

 

もちろん金額にもよる。500円玉とかは入れることができない。300円のお釣りでも入れない。100円台のお釣りであれば入れる。もちろん100円以下のお釣りだったらすぐ入れる。募金箱がなくてお釣りがポケットに入るとポケットは膨らむ。

 

1円でも無駄にできない、1円をばかにするものは1円に泣くとかなんとかいうけど、確かに僕もそう考えているところもある。お金は大事だ。お金を大事にしていないわけではない。募金をすることがお金を大事にしていないということには繋がらないだろう。この話をすると、お金に余裕があるんだな、とか思われそうだ。でも、案外そんなことではない。

それでも募金をする。

 

僕が募金箱に入れたお金はどこでどういう風に使われるのだろうか。そんなことをあまり気にしていない自分がいる。調べようともしない。心のどこかで誰かの助けになればいいなと思っている。でも、多分どこかの誰かのためにそのわずかなお金が使われているのだろう。

 

募金をすることで自分の中で何か変わるだろうか。あまりそんなことは考えていないが、なんか募金をするとき、する瞬間というのは、綺麗な感情になれている気がする。募金をしたことで少し心が軽くなったり、心が晴れたりする。

 

さて、今日もお釣りが出たら募金をしよう。誰かのために、自分のためにも。